ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】#29

今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇るサントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1972年4月29日号の記事『反ガリバー経営学 サントリー純生 180度の意外な変身』を紹介する。サントリーは72年に宣伝畑の杉村正夫取締役をビール営業本部長に起用する異例の人事を実施した。その杉村氏が宣言したのが、積極路線から「ステディー(安定)」な堅実路線への転換だった。「サントリー臭」の薄い杉村氏が見習うべきだと語った、王者のキリンビールの経営訓とは。(ダイヤモンド編集部)

サントリーの元宣伝部長がビール本部長に
「ステディーに」と堅実路線への転換を宣言

 サントリーのビール営業本部長が代わった。今度のキャップは、宣伝部出身だという。“はてな?……”と思った。このビール不況の折、キャップの交代はただごとではない。しかも、ビール事業でないセクションからの起用。早速、インタビューを申し込んだ。ところが、なかなかOKのサインが出ない。その理由は、すぐ分かった。「とにかく就任早々で、席を温めることがない……」。

 もう一つの理由はこう。「これまで、ビール関係では、常務が窓口になっていましたから……」と、これは広報室の弁。カメラとマイクの前に席を取った新部長氏は、なるほど初めは能弁ではなかった。が、それは数分であった。紅潮が引いた彼の口からは、やはり思わぬ単語が飛び出した。

「宣伝畑から営業本部長が出たというのは、初めてのことでしょうな。辞令を受けたときは、内心ドキッとしました。私にしてみれば、これは百八十度の転回でして……」と、これはご本人の弁。すると、同席していた広報室長氏が、やおら口を開いて「杉村さんは、いま、ああ言いましたが、謙遜しているんで……」と口を添える。

「週刊ダイヤモンド」1972年4月29日号「週刊ダイヤモンド」1972年4月29日号

 まあ、それはそれでいい。ところが、この元宣伝部長氏が、次に口にした言葉が耳に残った。「私は、ステディーに(編集部注:安定に)いきます。シュア(確実)に、焦らずに……」。ここでは、先の広報室長氏も口を挟まなかった。ただ、無言のままうなずいた。

 サントリーは変わった。