
今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1977年4月9日号の記事「北海道上陸を果たすサントリービール 律儀な朝日麦酒の計らいが糸口」を紹介する。サントリーの純生ビールは77年に北海道に進出を遂げ、全国の販売網が整った。ところが、サントリーの北海道での販路はライバルのアサヒビールに“乗っかる”というおかしな形となっていた。アサヒの粋な計らいの背景にあった過去の縁とは。(ダイヤモンド編集部)
サントリービールが北海道へ進出
市場縮小もシェアは順調に拡大
サントリーは、かねてサントリービールの北海道での発売を計画、準備を進めてきたが、ついに1977(昭和52)年4月20日からの“サントリービール純生”の発売にこぎ着けた。この結果、サントリービールは、北は北海道から南は沖縄まで、全国で販売されることになった。
サントリーのビール部門は、75年にシェア5%の壁を打ち破ってからは順調で76年は6%にシェアを伸ばした。76年はビール業界全体の蔵出し量が7.3%減と過去最高の落ち込みを見せただけに、サントリーのこの健闘ぶりは光る。
「週刊ダイヤモンド」1977年4月9日号
そして、今回の北海道進出――。「今年はシェアを7%にしたい」(杉村正夫常務)という関係者の意気込みも理解できる。







