ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】#32

今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1980年5月17日号の記事「〈注目産業〉ビール戦争 新製品ラッシュのお家の事情 麒麟vsサッポロvs朝日vsサントリーの複合対決」を紹介する。ビール4社は80年春に一斉に新製品を投入し、「第3次新製品発売ラッシュ」の様相を呈していた。ただし、過去のラッシュとはビール4社の商品戦略は大きく異なっていた。記事ではビールの種類や容器などを巡る四者四様ともいえる各社の思惑を解説している。(ダイヤモンド編集部)

ビール4社が新製品を異例の同時投入
サントリーが過去のラッシュの契機に

 今年(1980年)のビール商戦は、値上げ後の購買心理の減退を意識してか、近年にないにぎやかな幕開けとなった。

麒麟麦酒……低濃度「ライトビール」
サッポロ……小型たる生「ミニコンパ」とたる型小瓶「ぐい生」
朝日麦酒……小型たる生「ミニ樽」と「本生スタイニー」の全国発売
サントリー……小型たる生「ナマ樽3」と「ナマ樽2」

 今回は初めてビール4社全ての新製品が時機も同じく勢ぞろいするという異例の現象が生まれた。実は、この業界、過去にも2回新製品ラッシュがあった。

 第1期は1963(昭和38)年のサッポロジャイアンツから始まって65年の同ストライクに至る時期。このとき63年に、洋酒の寿屋(現サントリー)がビール業界に参入している。第2期は67年のサッポロファイブスターに始まり71年末のエビスビールに至る時期。このときもサントリーが、「起死回生をカケて」純生を新発売(67年)、宣伝力と販売力の総力を挙げている。

 つまり、1期、2期ともサントリーの存在がラッシュの一つの刺激となっている。ちなみに、業界の戦後初の新製品アサヒゴールドの発売は57年の宝酒造のビール参入時と奇妙な一致を見ている。

 麒麟はこの間、一つの新製品も出さず、ひたすら拡販と生産能力の拡大に注力している。その結果、57年と72年の15年間でシェアを18ポイントも増やし、60%の大台に躍り出た。

 周辺商品を続々と登場させたサッポロがシェアを大幅ダウン。ゴールド、本生と主流商品を2回も入れ替えた朝日はシェア半減で2位の座からも転落。麒麟との好対照を成している。結局、製品に対する自信のあるなしが両者の差を呼んだともいえる。とすれば、この時期、新製品は疑心暗鬼の産物であり、それ故に消費者のニーズに応え切れなかったと指摘できる。

 そして第3期は76年10月、麒麟の戦後初の新製品マインブロイ(高濃度ビール)に始まる。今回のラッシュは、この流れの上にある。

 ただ、1~2期を通じて、見逃せない重要な動きは、ジャイアンツに始まり、純生に元祖のお株を取られた“生”志向がタテ糸となっていることである。この“生”のせせらぎは少しずつ水量を増し、今や無視できない流れとなってきたことは確かである。が、こういう意見がある。「新製品は、既存の売り上げに新たな売り上げをオンできなければ、しょせん金と労力のムダ遣いにすぎない」と。

「週刊ダイヤモンド」1980年5月17日号「週刊ダイヤモンド」1980年5月17日号

 第3期に入って登場、生ブームの主役となったサッポロの瓶生にしても、品不足騒ぎが起きるほど大ヒットとなった朝日のミニ樽にしても、成功したとはいえないという見解がある。なぜなら、サッポロ、朝日のシェアは一向に歯止めが利かず、昨年もずるずると下げてしまったではないか、というものである。

 しかし、79年にサッポロと朝日のビール出荷量は前年水準をわずかに割り込んだものの、“生”はそれぞれ21%、17%と2ケタの伸びを示し、共にビール出荷量に占める比重を38%にまで高めている。従って、需要の変化に対する自信と期待を両社はむしろ深めているはずである。

 今少し、お家の事情に立ち入ってみよう。