日銀総裁人事を巡る議論で、にわかにクローズアップされたのが「中央銀行の独立性」である。

 民主党は、元財務次官の武藤敏郎・日銀副総裁の昇格では日銀の独立性を守れぬ、と反対した。次に政府が提示した田波耕治・国際協力銀行総裁も、財務次官経験者だという同じ理由で拒否した。

 中央銀行の独立性とは何かを考えることは、中央銀行がなぜ存在するのかを知ることであり、それは歴史が教えるところでもある。

 いかなる国でも、政府与党はさまざまな欲求あるいは圧力から、財政を出動したいという誘惑に常に駆られる存在である。その彼らに金融政策を任せたら、すき放題におカネを刷りまくるだろう。その結果はインフレーションであり、時に狂乱するほどに講じてしまい、戦争にまで突入したのが、第二次世界大戦前のドイツであった。

 しかしながら、中央銀行の独立性は政府と離れ、唯我独尊のごとく無制限に認められるものではない。

 名セントラルバンカーの誉れ高いマービン・キング英国中央銀行総裁は、「中央銀行には、“制約された裁量”が与えられている」と講演で述べている。”制約された裁量“とは、一定のフレーム内で自由に政策手腕を振るう権限である。

 例えば、英国でのインフレターゲットは、政府が中央銀行に対して、目標は中期的な物価安定であることを明確に指示した上で、その範囲内のオペレーションは100%任せるという枠組みである。

 これが、今日世界の金融界でコンセンサスとされる、中央銀行の独立性といえよう。

 翻って、これまで日本でインフレターゲットの導入が議論されたとき、政府閣僚、さらには学者まで加わって、短期的な達成義務を都合よく強調し、貨幣供給量や物価上昇率の数値目標を機械的ルールとして課すことの有効性を語った。小泉政権時の竹中平蔵氏が、その典型であろう。