Photo by Hitoshi Iketomi
6月13日、川崎重工業は、臨時取締役会で、半ば強引に三井造船との経営統合の交渉を進めていたという理由から、長谷川聡社長ら3人の役員を電撃解任した。“株主総会前の造反劇”という異例の事態は、産業界のみならず、一般社会からも注目されることとなった。
一方で、当初は頭から強く経営統合説を否定していた川崎重工の側から、実際には水面下で交渉に着手していた事実を、断りなく白日の下にさらされた側の三井造船にとってはたまったものではない。
しかも、13日の緊急記者会見では、川崎重工の松岡京平副社長から、「(4月22日の新聞に経営統合説が出てからの)株式市場の反応を見れば、(三井造船との統合は)シナジーがなく、当社の企業価値の向上にはつながらないと判断できた」とまで言われてしまった。
翌14日の株価(終値)は、川崎重工が前日より4%以上値上がりしたのに対し、三井造船のほうは5%以上値下がりした。川崎重工で起きたクーデターの是非はともかく、三井造船と交渉を持ったことをバラしてしまった点については川崎重工に信義則上の非があるにもかかわらず、市場は「三井造船と一緒にならなくてよかった」という判断をしたのだ。これでは、“泣き面に蜂”である。
とはいえ、音無しの構えを続ける三井造船からは、「“あの人と結婚するのはメリットがないからやめました”と一方的に破談を宣告されたに等しいので、内心はじくじたるものがある」(三井造船の社員)という恨み節が聞こえてくる。
三井造船は、幅広い事業領域を抱える三菱重工業などの総合重機メーカーとは異なり、“ほぼ専業”なので、造船事業の比率が56%と最も高いことで知られている。
「過去には、川崎重工やIHIと経営統合まで視野に入れた連携を模索した時期があるし、同じ顧客から大量発注された船を分担して建造したこともある。かつては、三井造船グループとして海外展開を考えたことがあるが、海運市況の悪化などから頓挫するなどして、結果的には国内にとどまったままになっている」(幹部)。
片や川崎重工は、1995年という早い段階で、国内の造船業界に強かった批判に聞く耳を持たず、海外に出た。そして、中国の合弁事業を成功させて、現在ではブラジルへと軸足を移しつつある。