黒田東彦の世界と経済の読み解き方観光客に人気の那覇市の国際通り。観光産業の隆盛もあり、沖縄県は特徴的な経済発展を遂げている Photo:PIXTA

少子高齢化や東京一極集中が課題とされる日本の中でも、沖縄県は独自の経済発展を遂げている。前日本銀行総裁の黒田東彦氏が執筆するダイヤモンド・オンラインの連載『黒田東彦の世界と経済の読み解き方』の今回のテーマは、「沖縄の発展」。日本に返還された沖縄が稀有な発展を遂げた理由と、今後の見通しは?

沖縄返還、米中融和、ドル金兌換停止
ベトナム戦争で疲弊した米国の決断

 前回配信の寄稿では、第2次世界大戦後の日本経済について解説した(参照『黒田東彦が6つの時代で考える「戦後の日本経済」、イラン戦争は今後の日本経済にどう影響するのか』)。今回は、戦後日本の中でも特徴的な発展を果たした沖縄県について概観したい。

 第2次世界大戦後の沖縄は米軍の統治下に置かれていたが、佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領(いずれも当時)との困難な交渉を経て、1971年6月に沖縄返還協定が調印された。

 実はその直後の同年7月、ニクソン大統領が翌年の中国訪問を発表し、8月にはドルの金兌換停止と輸入課徴金というニクソンショックがあった。65年から本格的に軍事介入したベトナム戦争で疲弊して大幅な経常赤字に落ち込んだ米国が、71年6~8月に沖縄返還、米中融和によるベトナム戦争からの脱却、ドルの切り下げを決断したことが分かる。

 72年5月に沖縄は日本に返還され、同時に、沖縄で流通していたドルは、スミソニアン体制(1ドル=308円)下での直近の市場レート1ドル=305円で円に交換された(ニクソンショック前の1ドル=360円との差額は、琉球政府<当時>が補填した)。

 通貨交換額は1億346万ドル(315億円)に及び、米国との交渉により、そのうち一定額を25年間ニューヨーク連邦準備銀行に無利子で預金することになった(その後、有利子預金に転換された)。

 返還時の沖縄県の人口は100万人弱だったが、復帰後数年は、本土から戻ってきた人による社会増や出生による自然増によって人口が増加した。その後は、社会増減はほぼなくなり、自然増によって増加し、今や150万人近くになっている。

 過去半世紀の日本でこれほど人口が増えたのは、(社会増による)東京都とそのベッドタウンである神奈川・埼玉・千葉3県と、(自然増による)沖縄県だけであろう。沖縄県の出生率は一貫して全国平均より高く、平均寿命も全国平均を上回っている。