Photo by Yasuo Katatae
かつてソニーやパナソニックを抑え、北米シェア首位を誇った船井電機。だがカリスマ創業者亡き後、会社は後継者を定められず迷走。最後は従業員約70人の出版社・秀和システムに買収される異例の展開をたどった。名門企業はなぜそこまで追い込まれたのか。新刊『社喰い』(片田江康男・著、ダイヤモンド社刊)から、船井電機が破産へ向かう運命の分岐点を追ったルポを抜粋する。(ダイヤモンド編集部副編集長 片田江康男)
16年間で社長交代は7回、
累積赤字1100億円
船井電機は、船井哲良氏が1951年に立ち上げた船井ミシン商会を前身とし、1961年に設立されている。
1985年に発売されたテレビとビデオが一体となった「テレビデオ」は、北米で60%以上のシェアを獲得し、FUNAIブランドが世界へ認知されるきっかけとなった。加えて、他社の企画した家電の製造を請け負う事業を積極的に進めた点も、船井電機の特徴だ。
《常勝集団、コストカッターの達人、北米市場の主役―。》(『週刊ダイヤモンド』2007年6月30日号)
いつしか船井電機はこう称され、一時は世界最大の薄型テレビ市場である北米で、ソニーやパナソニックを押しのけてシェア1位を獲得。
それもこれも、創業者・船井哲良氏の強烈なリーダーシップがあったからだった。
だが、カリスマによる経営は、そう長くは続かない。
船井電機は創業家一族による経営から脱却すべく、2005年4月、大蔵省(現財務省)主計局次長の中島義雄氏を副社長含みで招聘。
船井哲良社長は記者会見の席上、「私になにかあれば社長にと考えている」と発言し、後継指名をしたとされる。
ところが、わずか2年でその方針は揺らいでしまう。船井哲良社長は『週刊ダイヤモンド』(2007年6月30日号)のインタビューで、次のように答えている。
《今年から来年にかけて、人事を刷新します。生え抜き社員を多数昇格させることは事実でして、彼らのうち数人が、うちの会社を引っ張っていく人材になることを期待しています》
こうして中島氏への後継指名をあっさりと覆した。
2008年6月、船井哲良社長は会長に退き、社長には生え抜きの林朝則氏が就任。中島氏は、船井哲良氏が会長に就任したのと同時に、船井電機を去っていった。
その後、船井哲良氏は2017年7月に90歳で死去。
結局、最後まで後継者を定めることはできなかったようだ。破産するまでの約16年間で、7回もの社長交代が繰り返されている。
AV・家電機器は中国・台湾のメーカーとの競争が激しく、とりわけ液晶テレビ事業の価格競争は、2000年代中ごろから熾烈を極めた。
パナソニックやシャープなど、ブランド力のある大手メーカーでさえ事業撤退や縮小に追い込まれる、死屍累々たる市場だ。
そんな厳しい市場環境を、次のリーダーが定まらない企業が戦い抜けるはずもない。
内部資料と公表されている有価証券報告書を集計すると、船井電機は2008年3月期から2024年3月期までの16年間で、累計約1100億円もの連結の最終赤字を垂れ流していた。







