8月15日、靖国神社に参拝したのは「小粒の閣僚」だけだった。首相は玉ぐし奉納にとどめ、春の例大祭では国会議員を引き連れて参拝した副首相の姿もなかった。
国際世論の反発に気遣いながら、小粒でも閣僚の参拝で意地を見せ、どこか悔しさがにじんだ今年の靖国神社。参議院選挙で大勝しながら、地金をむき出すことは思いとどまった安倍首相だが、満たされぬ思いが噴出する先は集団的自衛権。解釈改憲を先行させ、憲法改正につなげようとしている。
挫折の記憶
政権を投げ出す屈辱を味わった安倍首相にとって集団的自衛権は挫折の記憶を深く刻んだ案件である。第一次安倍内閣の2007年、憲法解釈を変えて集団的自衛権に道を開こうと有識者懇談会(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)を立ち上げた。翌年、懇談会は期待通りの結論を出したが、時すでに遅し。政権は崩壊寸前、憲法解釈の変更に手をつけることはできなかった。
後任の福田康夫は安倍の置き土産に冷ややかだった。懇談会の結論は棚上げされ、集団的自衛権は、見果てぬ夢に終わった。
再登板した安倍は早速、有識者懇談会を復活させた。座長は以前と同じ柳井俊二元駐米大使。有識者の集まりといっても政権が選んだ右派の論客が目立つ。福田元首相が封印した報告書の埃をはらって、今様にリメークするのがお仕事だ。
集団的自衛権は米国が強く求めていたものである。中東で戦争する米国は一緒に戦ってくれる同盟国を必要とした。日米安保条約は、日本が攻撃されたら米国が参戦する約束だ。その米国が世界のために戦っている時、日本は何もしないのか、と「同盟の片務性」を米国は問題にした。
代表的な論者はブッシュ政権で国務副長官を務めたリチャード・アーミテージである。ベトナム戦争に従軍した軍人出身の政治家、共和党の対日政策を担った「ジャパンハンドラー」の筆頭である。
「憲法9条が日米同盟の障害」とも発言し9.11以後は日本に対し、「ショウ・ザ・フラッグ(旗色を鮮明にしろ)」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(戦場に立て)」などと高圧的に参戦を迫った。