ダイヤモンド社刊 1700円(税別) |
「300年前デカルトは、『我思う。ゆえに我あり』と言った。今やわれわれは『我見る。ゆえに我あり』と言わなければならない」(『新しい現実』)
デカルト以来、重点は分析に置かれてきた。ドラッカーは、これからは分析と知覚とのバランスが不可欠だという。
すでに1890年代、形態心理学は、われわれが理解するのは「C」「A」「T」ではなく、「CAT」であることを明らかにしている。以来、心理学のほとんどの分野が、分析から知覚へと重点を移した。今日の心理学は、人間の心理過程、つまり衝動ではなく、人間そのものを理解しようとする。
最近、企業や政府の計画立案において、シナリオの果たす役割が大きくなった。シナリオもまた、知覚的な認識である。
生態系なるものは、すべて分析ではなく、知覚の対象である。全体として観察し理解しなければならない。部分の和が全体ではない。部分は全体との関係において存在するにすぎない。
ドラッカーは、今日われわれの眼前にある新しい現実は、すべて形態的であって、それらの問題を扱うには、分析とともに知覚が不可欠だという。グローバル経済、途上国問題、地球的環境問題、組織社会、教育問題など、すべてが形態的な問題である。
「今日の生物的な世界では、中心的な役割を果たすべきは知覚的な認識である。しかも知覚的な認識は、訓練し発達させることが可能である」(『新しい現実』)