みずほ銀行の問題融資をめぐる一連の対応を見ていて、私は20年以上前のことを思い出した。

 1989年はバブルの絶頂期。特に株価は天井知らず。年末には日経平均株価が4万円に手が届くところに達して、年明けには4万円の大台に乗るはずであった。

 新年の三が日、私はある新年会で地方の金融機関のトップと隣り合わせた。旧知の仲であった。

 ふだんから寡黙な人だが、沈痛な顔に見えたので「体の調子はいいですか」と聞くと話し出した。

 要約すると、年末に保有株式をすべて売った、とのこと。理由は、いつか暴落することが避けられないから。このままではお客さんに迷惑をかけてしまう。だから、幾晩も考えた結果売ったのだが、それがよかったかどうかわからない、と言う。

 周知の通り、年明けのマーケットで株価は大暴落しバブルの崩壊が始まり、日経平均は89年末の最高値からついには5分の1の水準まで落ち込んだ。

 この理事長は旧制中学卒。中学の同級生の専務に従い常務を務めていた。専務は学歴も申し分なく、人柄も能力も優れ、自他ともに次期理事長となることに疑いはなかった。

 だが、前理事長は常務を後継者とした。あとで聞くと、得意先が圧倒的に常務の昇格を願っていたということであった。

 前述の新年会の席での言葉で特に忘れられないのは、「お客さんに迷惑をかけてしまう」と「こんなうまい話があるはずがない」、「判断が間違っていたらすべて私の責任」と言ったこと。“お客さん”たちは長年の取り引きを通じて彼の本質を知っていたから、声を挙げて彼を推挙したのだろう。