成果を可視化する効用

 さて、ここでみなさんに「読書ノートを書いてください」と言えば、一も二もなく次のような疑問が飛んできそうです。

「やったことはあるが面倒で続かなかったぞ」
「ものすごく大変なんでしょう?」
「そんなことをして意味があるのか?」

 読書ノートといっても、論文作成のための研究ノートのように、ぎっしり文字が詰まったものもあれば、メモ書き程度のものもあります。たとえば、

「2013年8月5日、『○○○○』読了。期待以上におもしろかった」

 と、この程度であれば、誰でも続けることができます。「こんな適当なものでいいわけがない!」と思う方も多いでしょう。しかし、僕はこの程度でも「読書ノートの効果はある」と断言します。継続できることが、第一のハードルだからです。

 何年、何十年と続けることができてはじめて、記録したことを参照したり、詳しい読書ノートをつくったりといった応用が利くようになるのです。だから、「継続できること」はすべてに優先します。

 先ほどの例だと、8月5日に『◯◯◯◯』という本を読んだこと、おもしろかったこと、それ以外は何もわかりません。けれども、読書という体験を目に見えるかたちで残しておくことができます。これをやるのとやらないのとでは大違いなのです。

 読書家で知られるフランス文学者の鹿島茂さんは、エッセイの中でこのように読書ノートの効用を説明しています。

「(前略)なにも本を最後まできっちりと読む必要はない。それよりも、どんなかたちであれ、その本がなにがしかの痕跡を自分に残したと感じるような工夫を講じることが大切なのだ。それには、著者名と題名、それに少しの引用、遭遇時情報などだけでも、とにかく読書日記をつけてみることが最も有効な方法なのである」(『うらやましい人』「’03年版ベスト・エッセイ集」日本エッセイスト・クラブ編/文藝春秋)

 読書ノートは「続けること」に意味がある。大それたものを書く必要はない。まずはこういう感覚で、気負わずに始めてしまうことです。