ところ変わって大船渡のカキ。フランス方式の牡蠣養殖に取り組んでいる。こちらは脂肪分が多く、コッテリしている。カキの味の違いは明確にわかるので面白い

 ちなみに、カキが一番売れるのは12月だ。年末行事や鍋物などによる需要だと言う。しかし、カキ養殖家の誰もが「一番おいしいのは3月から4月のカキ」と口を揃える。花見の時期のカキが一番、身が膨らむのだという。

 たしかに春先のカキは12月のそれとはまるで別物。海を食べているような風味と、濃厚な味が口いっぱいに広がる。需要の時期をずらすのは難しいが、カキ養殖家が一番食べてもらいたい時期のカキが広く食べられていないのは残念な話だ。

 ところで。

 石巻の駅前はあいかわらず閑散として、うらぶれている。商店街のシャッターは閉まっていて、歩く人々の姿も少ない。駅からほど近いところにある大型ショッピングモールの駐車場はそれなりに車で埋まっている。どこにでもある地方都市の風景だ。震災によって寂れたのか、あるいはその前から荒廃の気配が潜んでいたのが、判断することはできない。

 2014年の3月で東日本大震災の発生から、3年が経過したことになる。その年月が長いのか短いのか、復興のスピードが速いのか遅いのか、あるいはいつまでこの場所を被災地と呼んでいいのか、といったことは僕にはわからない。

 けれど、震災が起きてから数週間後よりも数ヵ月後、数ヵ月後よりも1年という具合に、町の景色は日常を取り戻し、人々は再び新しい生活を築きつつある。

 振り返ってみると、95年に阪神淡路大震災が起きた時より、東京に住む人々の反応は〈より当事者に近い〉ものだったと思う。もちろん物理的に距離が近い、ということだろうが、東北が東京という巨大な都市のエネルギー供給源だった、ということも関係があると思う。

 地方は無機的な都市の東京に電力を供給し、また食料を生産する場所でもあった。その恩恵にただ預かってきたことに気づかされた僕らはどこか〈後ろめたさ〉のようなものを感じたのではないだろうか? 

漁業をいかにして守っていくか
量の追及から質の追及へ

漁港を中心とした海辺の風景は、観光資源でもある。この景観をどのように守り、そして生かしていったらいいのだろう?

 漁業は紛れもなく衰退産業である。魚の獲り方、資源の管理方法、売り方を含めて再考しなければいけない時期にきていることは間違いない。それはもちろん漁師達だけで解決する問題ではない。彼らは魚を獲ること、育てることは専門だが、売ることのプロではないのだ。また、様々な識者が指摘するように国が介入しなくてはいけない部分もあるのだろうし、ヤフーの長谷川さん達のような新しい力も必要である。

 漁業の産業規模は決して大きくない。しかし、例えばカキは海をきれいにするし、魚付き保有林などを含んだ漁村の景観は、漁業によって守られている。漁業を守ることは、日本の風景を受け継いでいくことでもある。