過去にもこのような保守・ナショナリスト勢力が存在していなかったわけではない。過去の歴史問題についても、戦争を美化するような発言、南京虐殺を否定する発言、近隣国に真正面から謝罪することを心良しとしない雰囲気もあった。

 しかし、これまではそのような発言があっても政権中枢はこれを抑え、ナショナリズムが排他的となり、近隣諸国との関係を大きく傷つける結果となることを避けてきた。

国際社会の尊敬を失いかねない危険
知的指導者は健全な世論づくりを

 今の状況は危険ではないだろうか。何よりも危険だと思うのは、日本が国際社会の尊敬を失ってしまうことである。どの国でも極端な議論はあり、排他的なナショナリズムに染まっていく世論が一部に生まれることは、止むを得ないのかもしれない。

 しかしながら、民主主義、とりわけ主要先進国の民主主義の強みは、そのような極端な議論を抑える仕組みが存在することである。政治指導者や知識人がバランスのとれた議論を展開し、国論をつくらなければならないのである。

 米国のニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、英国のフィナンシャル・タイムズといったオピニオンリーダー的役割を果たしてきた主要紙が、こぞって主張するのもその点である。彼らが鳴らす日本の右傾化に対する警鐘は、世論の一部に歴史や外交を巡って極端な議論があることに対してではなく、日本の与党、野党の政治指導者や知識人が健全な世論づくりの役割を果たしていないのではないかという点に対してである。 

 NHKの経営委員という公共放送の要職にある人たちが極端な議論をしたとき、個人の見解であるから問題ないということよりも、公共放送を監督していく立場からは問題があるという捉え方が何故できないのか、ということなのだろう。

 今日の日本社会で懸念されるのは、知的退廃である。アクションをとることは重要であるが、原理原則に則った知的議論が欠けていく気配を感じる。政治家、官僚、メディア、財界、学界といった知的指導者が、十分な役割を果たせていないのではないか。