「ユーロマイダン」を合言葉に
昨年11月からデモは続いている

EU加盟を望むキエフ市民たち
Photo by Vlad Sodel

 昨年11月からウクライナの首都キエフにある独立広場周辺で続いていた反政府デモは、ヤヌコヴィッチ大統領が政権の座から引きずり下ろされる形で劇的な展開を迎えた。今月に入って相次いだデモ隊と治安部隊による衝突での死者は80人を突破。キエフでは第二次世界対戦以来の大惨事となった。

 一体、何が起こっているのか。まずは、事の発端から振り返ってみよう。

 そもそも、ロシアに隣接するウクライナでは、2010年から続く親ロシア色の強いヤヌコヴィッチ政権に対する野党陣営の不満が高まっており、ウクライナの将来的な欧州連合への加盟を希望する多くの市民も政権に対するフラストレーションを抱えていた。

 そして昨年11月21日、ヤヌコヴィッチ大統領はすでに仮調印を済ませていた欧州連合との貿易協定を見送る決定を下した。これが引き金になった。

 貿易協定見送りの対応に抗議する市民が市内中心部の独立広場に集結。市民の数は日毎に増え、11月29日には反政府デモの主催者が欧州連合との協議再開とヤヌコヴィッチ大統領の辞任、そしてデモ参加者に対する暴力の停止を求める声明を発表した。

 欧州を指す「ユーロ」とウクライナ語で広場を意味する「マイダン」を合わせた「ユーロマイダン」という造語で、キエフの反政府デモはヨーロッパを中心に連日報道され始めた。

 当初は平和的な抗議デモが続けられていたが、11月30日に広場のデモ隊が治安部隊によって強制排除されると、これに激怒したデモ隊は12月1日に再び広場を占拠。この時を境に強権発動する治安部隊とデモ隊との間で衝突が見られるようになった。