今回も前回に引き続き、タリーズコーヒーインターナショナル会長の松田公太氏に「仕事の極意」についてお話を伺います。今回はその【後編】です。前回【前編】はこちら。
■ 社長ファイルNo.10 ■
タリーズコーヒーインターナショナル 会長
クイズノスアジアパシフィック 社長
松田公太 氏
■ 松田社長が選んだ「仕事の極意」(スキル)は・・・ ■
アイデア・発想/モチベーション
松田公太(タリーズコーヒーインターナショナル会長/クイズノスアジアパシフィック社長)
1968年、宮城県生まれ、東京育ち。父の転勤で5歳~18歳までをアフリカ・セネガル、米国・マサチューセッツ州で過ごす。1986年に帰国し、筑波大学国際関係学類に入学。1990年に三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。在行中に起業を決意し、離職。1年以上に及ぶ交渉の結果、1997年28歳の時にタリーズコーヒーの日本経営権を取得、翌年タリーズコーヒージャパン(株)を設立し、300店舗を超える一大チェーンに成長させた。しかし2007年、突如社長を退任。翌2008年より活動拠点をシンガポールに移し、タリーズコーヒーインターナショナル、クイズノスアジアパシフィックを設立。アジア環太平洋諸国での新たなチェーン展開を進めている。著書に「仕事は5年でやめなさい」(サンマーク出版)がある。
アリがゾウに立ち向かう!?
「銀座コーヒー戦争」の幕開け
高城 前回は、松田さんの“知られざる過去”について伺いました。そこで今回は、タリーズ第1号店を銀座に開店した当時の話を伺いたいと思います。
松田 最初の大きな課題は、日本でタリーズを誰も知らなかったことです。地元シアトルの人でさえ、半数ぐらいしか知らない小さなチェーンでしたから、当然といえば当然です。ちょっと前に上陸していたスターバックスに比べると、まさにゾウとアリのようなものです。それにショップ自体も、同じ銀座にあるスタバに比べて、狭くてわかりにくい場所にありました。道行く人はいつも多いのに、ほとんど素通りされるだけの毎日でした。
そこで、いろいろ考えました。たとえば、ちょっとした時間を見つけては、プラスチックのカップを持って銀座の街を歩き回りました。これには2つの意味があります。第一に、当時はコーヒーをテイクアウトするという感覚がなかったので、これを日本で流行らせるため。そして第二に、カップに印刷されたタリーズのロゴマークを見せることで、少しでも知名度を上げるためです。すれ違う人の目に止まりやすいように、ずいぶん不自然な持ち方をして歩いた覚えがあります(笑)。
高城 わかります。私も本を出したとき、担当の編集者さんに「電車の中でわざと読んで!」とお願いしましたから。