無気力な社員たち
まず、集まっている人びとの数の少なさである。
太宝工業の社員は、3年前の人員削減措置によって、220名から170名に減っていた。工場内で働いている下請け協力会社4社の社員数も同時に削減され、80名から60名になっている。
合計230名の人びとが働いているというのに、集まっているのはざっと見たところ100名そこそこだった。社長が交替するというのに、あとの100名ぐらいの人たちは何をしているのだろうか。
次に、集まっている人びとの服装のひどさである。
渋谷前社長以下全員同じ作業服を着ている。
管理職やスタッフと思われる人びとを除いて、多くの人の作業服は汚れ、一部には溶けた金属の飛び火で焼けたと思われる小さな穴が、あちこちにあいている。足もとの安全靴の痛み具合もひどい。
そして何よりも、彼らの無表情さが気になった。社長が替わるというのに、今まで5年間もいっしょに苦労したリーダーが別れの挨拶をしているというのに、彼らの顔は死者のように表情がない。つまらぬ事務報告を聞いているようだ。
親会社からどんなエライさんが来ようと、この会社の万年赤字は変わらない。
いよいよ窮すれば賃金カットと人員合理化。筋道は見えている。誰が社長になろうと同じことだ。
眼の前の100人ほどの無言、無表情の集団の心が、沢井にそう語りかけてくる。
この無表情、無気力の死んだような人びとを率いて、この会社を黒字にするのか。
沢井が考えてきた突破口は、現有人員の力をどれだけ発揮させるか、しかなかったはずである。
頭のなかで考えているときは、「人間の能力の開発・発揮」「組織の活性化」だ。かっこいい言葉だ。
しかし、その原点になる「人間」の現実の姿は、今、沢井の目の前に汚れた作業服をまとって、無表情、無気力に立っている人びとだ。
この場に出席していない100名余りの人びとは、たぶんもっと冷たく、離れた心を持っているのだろう。
──俺は、今日から、この人たちを引きつれて、この会社を黒字にしなければならない。
しかもできれば1年以内にだ。
できるのか、俺に。
お手上げだ。できるもんか、そんなこと。できたら神業だ。
どうして、俺が、こんな目にあわなければならないんだ──。
眼の前の人びとの死人のような無気力さに引き込まれて、沢井の心は絶望感に落ち込んでいた。