安倍内閣は今、憲法9条の解釈を変更することによって、わが国も集団的自衛権が行使できるようにすることを検討すると報じられています。これは戦後の日本のあり方を大きく変えようとするものです。以下では、これがどういうことなのか、そして正しいことなのかどうかを考えてみたいと思います。
結論を先に言えば、私は憲法解釈の変更によって、集団的自衛権が行使できるようにすることには反対です。政策として集団的自衛権の行使が必要というのであれば、憲法を改正するのが「王道」であると考えます。
集団的自衛権とは
1943年和歌山市生れ。66東京大学法学部卒、大蔵省入省。在ロスアンゼルス総領事館領事、 国税庁総務課長、大蔵省大臣官房審議官、内閣法制局第三部長、第一部長等を経て、2004年8月から06年9月まで 内閣法制局長官を務める。06年11月弁護士登録、現在アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問。著書に『証券取引等監視委員会』(大蔵財務協会)、『政府の憲法解釈』(有斐閣)、『「法の番人」内閣法制局の矜持』(大月書店)。
「集団的自衛権」というと、いかにももっともらしく、そして何だか難しそうに聞こえますが、実はとても簡単なことなのです。
自分の国が外国から攻撃されたときに、これを実力で防ぎ、排除する文字通りの自衛権は、国家についても、人の場合の正当防衛権と同じように、19世紀の頃から国際法上、認められてきました。後述するように自衛隊も、この自衛のための備えです。この個別的自衛権とはちがって、集団的自衛権は、自分の国は攻撃されていないけれど、外国同士が戦争を始めたときに、そのどちらか一方に味方して、これに加わることを意味します。ですから、自衛権というよりは、親しい国を守るための他国防衛権というべき性質のものです。
国連憲章体制下の現在の国際法では、どんな国でも、国連安全保障理事会(安保理)が是としない限りは、勝手に戦争をすることは許されません。その唯一の例外が、国連憲章第51条に個別的自衛権と並んで認められている集団的自衛権を行使する場合です。つまり、今ではどの国も、集団的自衛権の行使であると言わない限りは、外国に出かけて行って戦争をすることが許されないわけです。