6月6日は「Dデイ」と呼ばれる。人類史上最大の上陸作戦が行われたこの日から今年は70年の節目にあたる。当日フランスで開催される記念式典には、上陸の地であるフランスのオランド大統領を始め、オバマ米大統領、イギリスのエリザベス女王ら旧連合国の首脳が出席する予定だ。こうして改めて、米英仏の首脳が一堂に会するのも、この日からの戦いがナチス・ドイツを打倒するうえで決定的な転機になったからである。今回は、この空前絶後の大プロジェクトの様子と意義を論じてみたい。

連合軍最大の
オーバーロード作戦

「Dデイ」とはもともとは作戦の実行日を意味する言葉だった。

一橋大学名誉教授 野中郁次郎

 アメリカ陸軍の説明によれば(*1)、第1次世界大戦で欧州に派遣された遠征軍の第1軍が、フランス北西部のサン・ミッシェルで一大攻勢に出た1918年9月7日が初めてのDデイとして記録されている。

 しかし今では、Dデイといえばノルマンディー上陸戦が敢行された日、というのが一般的な理解となっている。

 連合軍最高司令官であるアイゼンハワーにとって、「オーバーロード〈大君主〉」という作戦名で呼ばれたノルマンディー上陸作戦において、いつフランスの海岸に上陸するのかという日時の決定は、もっとも重い決断となった。

 オーバーロード作戦は、作戦の立案から決行まで、2年2ヵ月を費やしている。その間、米英間で、作戦を巡るさまざまな駆け引きが続いていた。

テヘラン会談(1943年11月)
左からスターリン、ルーズベルト、チャーチル

 そこにはソ連のスターリンの思惑も絡んでいた。ナチス・ドイツはフランスを制した1年後の1941年9月にソ連に攻め込んだ。以来、ソ連は東部戦線で苦しい戦いをひとり強いられており、第2戦線の開設を執拗に訴えていたのである。

 43年11月、米英ソの3巨頭が会したテヘランで、スターリンは翌44年の5月か6月に西欧での上陸戦を開始するよう強く要求した。それを受けたルーズベルトが、初めて「5月1日」という具体的な期日を口にした。これが最初のDデイ予定日である。

 Dデイの設定において、具体的に検討しなければならないことは山のようにあった。とりわけ重要だったのが、気象条件である。もし海が荒れていたりすれば、上陸部隊は海の藻屑と化してしまう。上陸作戦を考えるうえで、月齢と潮の干満、そして日の出という3つの要素がうまく揃う必要があった。

 イギリス(英仏)海峡を熟知していたイギリスのラムゼー提督とアイゼンハワーは話し合い、Dデイを5月1日にすることで合意し上申していたのだった。

(*1) アメリカ陸軍「Dデイ」