みんながいなくなると、恐るおそる教官に近寄った。「あの、すみません、今のやりかたを教えてもらえませんか?」低姿勢で言ったが、腹の中で考えていたのは、ブラウンズヴィルに戻ったらこの技は使えるぞ! だった。当時の俺の考えることと言ったら、それくらいのものだった。だが、ボビーは見どころがあると思ったらしい。「お前、本気でボクシングをやってみる気はあるか?」と言ってくれた。

 こうして、俺はボクシングの世界に足を踏み入れた。日中は猛練習、部屋に戻ってもひと晩じゅうシャドーボクシング。おかげでめきめき上達した。当時は気がつかなかったが、スパーリングの最中、ジャブ一発でボビーの鼻を折ってしまったことがあったらしい。次の週、ボビーは休みを取ったが、じつは自宅で療養していたんだ。

 練習開始から数ヵ月後、おふくろに電話をかけ、ボビーに替わってもらった。「言ってくれ、おふくろに」と、うながした。俺がどんなに優れたボクサーか、ボビーから伝えてもらいたかった。こんな俺にもできることがあるとおふくろに知ってほしかった。白人から話を聞けば信じてくれるかもしれないと思ったんだ。だがおふくろは、俺が生まれ変わったことを信じようとしなかった。もう手遅れと思っていたんだな。

伝説のトレーナー

 それからほどなく、ボビーから提案があった。「お前を伝説のボクシング・トレーナーのところに連れていってやる。彼の名前はカス・ダマト。そこで訓練すれば、お前は違った世界を見られるはずだ」

「どういうこと?」と訊いた。あのころはボビー・スチュワートだけが頼りだった。ほかの誰も信用できない。なのに、俺を投げ出すのか?

「いいから、とにかくその人を信じろ。カス・ダマトを」と、彼は言った。

タイソンにとって、ボクシングのみならず人生の師でもあったカス・ダマト。(Photo:(c)Ken Regan/Camera 5)

 そして1980年3月のある週末、ボビーと俺はニューヨークのキャッツキルへ車で向かった。カス・ダマトのジムは町の警察署の上にある集会所を改修したものだった。窓がなく、古めかしいランプが天井から吊り下がって光を灯していた。壁を見るとたくさんポスターが貼ってある。活躍している地元の少年を取り上げた記事の切り抜きだった。

 カスの見かけは、冷徹非情なボクシング・トレーナーそのものだった。背は低く、頭は禿げていて、がっちりした体で、いかにも屈強だった。話しかたも強気で、顔に笑いじわなんてひと筋もない。

「やあ、俺がカスだ」と、彼は自己紹介した。きついブロンクス訛りだった。テディ・アトラスという若いトレーナーもいっしょにいた。

 ボビーと俺はリングに上がって、スパーリングを開始した。俺は最初から力強く、リング狭しと動き回ってボビーを打ちまくった。ふだんは3ラウンドまでやっていたが、このときは2ラウンドの中ごろ、ボビーの右が何度か俺の鼻に当たり、鼻血が出始めた。痛みはなかったが、顔じゅう血だらけになった。

「そこまで」と、アトラスが言った。

「いや、このラウンドは続けさせてください。もう1ラウンド残ってるじゃないですか」と、懇願した。なんとかカスにいいところを見せたかったんだ。

 だが、カスにはすでにわかっていた。俺たちがリングを下りると、カスは開口一番、ボビーにこう言ったそうだ。「未来の世界ヘビー級チャンピオンだな」