カスの話には何時間でも耳を傾けることができた。そんな相手には今まで出会ったことがない。カスが教えてくれたのは、本能のままリラックスして動くことの大切さだった。気持ちや感情に動きを邪魔されてはならない。カスはかつて、こんな話を文豪ノーマン・メイラーとしたことがあったという。

「カス、君は知らないうちに禅(ぜん)を実践しているんだよ」とメイラーは言い、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』という本をカスにくれた。カスはよく、その本を読んでくれた。

 カスは自分の初めての試合で、感情の超越という究極の状態を経験したそうだ。彼はプロボクサーになりたくて、街のジムでトレーニングをしていた。サンドバッグを1、2週間打ったころ、マネジャーから、誰かと試合してみないかと言われた。リングに上がると心臓がドラムのように激しく打った。ゴングが鳴ると、突進してきた相手に打ちまくられた。鼻は腫れ、目がふさがり、血まみれ。第2ラウンドもやるかと訊かれ、うなずいた。第2ラウンドに入ると、ふっと、心が体から切り離され、自分自身を離れたところから見ている自分がいた。相手のパンチが遠くから来るみたいに感じられた。いや、感じたというより、それに気がついたのだという。

「偉大なボクサーになるには考えることをやめる必要がある」とカスは言った。俺を座らせて、「超越しろ。集中しろ。自分が自分を見ているのがわかるくらいリラックスしろ。その境地に達したら、俺に教えろ」と言った。

 この教えは俺にとってはきわめて重要な意味があった。俺には感情をむきだしにするところがあるからだ。あとからわかったことだが、リング上では感情を切り離せないと撃沈の憂き目に遭う。強いパンチを当てても相手が倒れないと、恐怖心が忍び込んでくる。

 カスはこの離脱体験をさらに発展させた。心を体から切り離し、そのうえで未来を描き出す。「すべてが穏やかで、自分は外にいて自分自身を見つめている」彼は言った。「それは俺であって俺でない。心と体がつながっていないようでつながっている。心に絵が浮かぶ。今から起ころうとしていることが心の目に浮かぶ。その絵を実際に見ることができる。映画のスクリーンのように。たとえば、駆け出しのボクサーを見ると、そいつが次にどう反応するか正確にわかる。そいつの戦う様が見え、そいつについて知るべきことがすべてわかり、そいつの考えていることがわかる。俺がそいつであるかのように。そいつの中にいるかのように」

 念の力で物事をコントロールできるとまで、カスは主張した。ロッキー・グラジアノのアマチュア時代、カスが彼を教えていた。ある試合でのことだ。カスがセコンドについたが、ロッキーは敗色濃厚だった。2度のダウンを食らい、コーナーに戻ってきて試合を投げたいと言ってきた。しかし、カスは無理やりロッキーを送り出し、彼の腕に念を込めた。するとパンチが当たって相手が倒れ、レフェリーが試合を止めたという。

 こういうとんでもない男に俺は鍛えられていたんだ。

(続く)