カス・ダマトの教え

 気持ちははやったが、カスの家に通い始めた当初はまったくボクシングをさせてもらえなかった。テディとの練習が終わると、カスが横に座って、2人で話し合う。彼は俺の気持ちや感情、ボクシングの心理面について語った。俺の心の奥まで知りたがった。このスポーツの精神面について、いろんな話をしてくれた。「自分の中に崇高な戦士がいないと、絶対にいいボクサーにはなれない。体がどれだけ大きくて、どれだけ強かろうと関係ないんだ」と、カスは言った。かなり抽象的な概念だったが、言いたいことはわかった。カスは俺の言葉を理解するすべを知っていた。彼自身も子どものころ、過酷な環境で育ったストリート・ファイターだったからだ。

ニューヨーク州キャッツキルにあったカス・ダマトの自宅前にて。(Photo:(c)Ken Regan/Camera 5)

 まずカスは、恐怖心と、それを乗り越える方法について語った。

「恐怖心はボクシングを学ぶうえで最大の障害だ。しかし、恐怖心は一番の友達でもある。恐怖心は火のようなものだ。管理する方法を学べば、自分のために利用することができる。コントロールできないと、火はお前と周囲のあらゆるものを破壊する。山上の雪玉のように、転がる前なら対処できるが、いちど転がりだしたらどんどん大きくなって押しつぶされる。だから、恐怖心を肥大させてはならない」

「野原を横切っているシカを思い浮かべろ。森に近づいたとき、突然、本能が告げる。危険なものがいる、ピューマかもしれない。ひとたびそうなると、おのずと生存本能が起動して、副腎髄質から血液にアドレナリンが放出され心臓の鼓動が速まって、並外れた敏捷性と力強さを発揮できるようになる。通常そのシカが15フィート跳べるところを、アドレナリンによって最初の跳躍が40フィートにも50フィートにも延びる。人間も同じだ。傷つけられたり脅されたりといった状況に直面すると、アドレナリンが心臓の鼓動を速める。副腎髄質の作用で、ふだんは眠っている力を発揮できるんだ」

「勇者と臆病者の違いがわかるか、マイク? 何を感じるかという点では、勇者と臆病者に違いはない。両者の違いは、何をするかにある。勇者がすることを真似、臆病者がすることをしないよう、自制心を手に入れるんだ」

「自分の心は友達じゃないぞ、マイク。それを知ってほしい。自分の心と戦い、心を支配するんだ。感情を制御しなくてはならない。リングで感じる疲れは肉体的なものじゃない。実は90パーセントは精神的なものなんだ。試合の前の夜は眠れなくなる。心配するな、対戦相手も眠れてやしない。計量に行くと、相手が自分よりずっと大きく、氷のように落ち着いて見えるだろうが、相手も心の中は恐怖に焼き焦がされている。想像力があるせいで、強くもない相手が強く見えてしまうんだ。覚えておけよ。動けば緊張は和らぐ。ゴングが鳴って、相手と接触した瞬間、急に相手が別人に見えてくる。想像力が消えてなくなったからだ。現実の戦い以外のことは問題でなくなる。その現実に自分の意志を定め、制御することを学ばなければならない」