分かったことは、ヒエログリフが音素文字(アルファベット部分)と表意文字の混成であったということ、そして、それらが日本語のように非常に複雑な構造を持っていたということでした。

 例えば音素文字といっても、基本アルファベットのような1音(母音か子音)1文字でなく、ヒエログリフには2~3音を表す文字もあれば、表意文字の発音をそのまま借りて、音を表す場合もある(*7)、といった具合でした。

 この音素文字部分「だけ」が発達して、その後の原シナイ文字につながったわけですが、でもまだ大きな謎が残ります。「なぜ」そんなことが起きたのでしょうか。なぜ、覚えてしまえば便利な、表意文字主体のヒエログリフから、離れる必要があったのでしょう。

本当のルーツは「周縁」で生まれた

 1997年「ワディ・エル・ホル碑文」の発見が、世界に報告されました。これこそが、ヒエログリフと原シナイ文字をつなぐもの、つまりアルファベットの本当のルーツではないかと報告でした。

 ヒエログリフの特徴を持ちながら、古代エジプト語読みが出来ず、原シナイ文字的な読み方が当てはまる、シンプルな音素文字(*8)の発見です。

アルファベットは「なぜ」生まれたか?<br />~日常からの発見【文字編】

 この紀元前2000年の碑文が見つかった場所は、当時のエジプト王国の首都テーベ(Thebes)から北西35km。砂漠の真ん中です。

 碑文の解読結果から、そこには、街道を警護するエジプト軍の前哨基地があったことがわかっています。かつ、そこを治めていたのは、アジア人の将軍「ベビ」だったと。

 こういった「外国人」が、エジプト軍には多くいました。エジプト王国の拡大に伴って、支配民族は多様化し、周縁地域では軍すら外人部隊で支えられるようになっていきました。

 発見者のダーネル博士は考えます。

 彼ら外人部隊こそが、この「ワディ・エル・ホル碑文」の文字を作り出したのではないか。エジプト軍に所属しながら、エジプトの文字(ヒエログリフ)に精通しない者たち。その異邦人たちが自らの名前を記すには、ヒエログリフの音素文字部分のみを使う必要があった。そうするうちに、音素文字による、独自の文字システムを生み出していった…、と。

アルファベットは「なぜ」生まれたか?<br />~日常からの発見【文字編】

 アルファベットは、ヒエログリフから生まれました。しかし、その正当な継承者ではまったくありません。複雑な象形文字では不便だった者(異邦人)たちが、必要に迫られて生み出したもの、それがアルファベットだったのです。

 新しい仕組みは、中心地では生まれません。

 便利な既存の仕組みに安住する者に、その変革へのニーズなど生まれないからです。革命を志す者は、常に辺境や周縁から生まれてくるのです。

*8 原シナイ文字と合わせて、原カナン文字と呼ばれる。
*7 万葉集で用いられた「万葉仮名」と同じ仕組み。