現在の介護保険にはさまざまな問題がある。そのいくつかは、すでに指摘した。介護をめぐる客観情勢が今後ますます深刻になることを考えれば、制度の基本についての再検討が必要だ。
伝統的社会での介護は
家族内移転
介護に関する公的施策がいかなるものであるべきかを考えるため、まず伝統的社会が介護問題にどのように対処したかを、様式化した姿で見ておこう。
伝統的社会においては、家族メンバーに要介護者が発生した場合、子どもが世話をした。その「対価」に相当するものを、子どもは相続という形で受ける。つまり、これは、家族内の相互扶助であり、移転である。
ただし、介護に要する費用はその家族の負担になるから、介護を行なった場合には、それだけ遺産が減ることになる。
ところが、核家族化が進行して、介護を伝統的な家族メンバーの相互扶助という形だけでは行なえなくなった。それに加え、平均余命の延長と少子化が介護を困難にした。そこで介護保険制度が作られたわけである。
これまで見てきたように、家族メンバーが提供してきたサービスの約2分の1が、保険給付によって代替されたと考えられる。
公的主体の責任は
どこまでか?
ただし、介護保険制度の基本理念は必ずしも明確でない。「介護保険は、介護のうちどこまでを受け持つべきか?」がはっきりしないのである。
国や地方公共団体の責任は、介護に関して、そのすべての面倒を見ることではない。実際、現状でも、実際にかかる費用のほぼ半分は、家族メンバーが提供している。
公的主体の果たすべき機能は、つぎの2つであると考えられる。
第1は保険機能。つまり、民間では対処できないリスクへの対処である。
第2は所得再分配機能。つまり、所得の低い人や、介護サービスを提供してくれる家族メンバーがいない人にサービスを提供することだ。
まず、第1の保険機能を考えよう。介護のかなりの部分を民間の保険で対処することは、原理的には考えられなくはない。
人々は、労働期において、将来に要介護状態になる危険に備えて、民間の保険会社が提供する介護保険に加入する。そして、老年期において実際に要介護状態になったら、保険の給付を受けるのである。
明示的な形の保険でなくとも、資産の蓄積で対処することもできる。介護の必要度はある程度は予測できるから、どの程度積み立てるべきかも、ある程度は予測できる。ただし、不動産や金融資産の蓄積は、リスク対処という意味では、保険に及ばない。