年金問題は、とかく分かりにくい。

 政府は2009年度までに、“基礎年金の国庫負担分を2分の1に引き上げる時期”を決定しなければならない。小泉政権が「百年安心」と大見得を切った、2004年の年金大改革での約束である。

 この「国庫負担」という表記は、国民にとって国が面倒を見てくれるかのごとき錯覚を与える。だが、油田を抱える中東の国でもあるまいし、政府にその財源を新たに生み出す魔術があるはずはない。一般財源を切り詰めることは不可能だろうし、事実上、消費税の増税しか道はない。いずれにしろ、税金なのである。
  
 ちなみに、国庫負担分、つまり税金比率を引き上げる意味は大きい。今の保険方式では当然のことながら、保険料を払えない人には年金は給付されない。裕福ではない人の老後生活こそを担保するはずの基礎年金がそれでは、価値がなかろう。理想は、全額税方式だろう。だから、これは重要な改革の一歩である。

 だが、消費税は1970年台に議論が始まって30年余の間に、導入と増税が1回しか果たせていない。時の内閣が政権と引き換えにする覚悟が必要なほどに難しい。だが、福田康夫首相には、時間も勢いもないのは明らかだ。増税できずに2分の1の引上げに失敗すれば、2004年の年金大改革の建て付けが根底から崩れてしまう。
  
 では、仮に、この難題をクリアしたとしよう。残された問題はまだ多々あり、少子高齢化がもたらす財源難は深刻で、年金制度を持続するには、最終的には、給付額の切り下げに行き着かざるをえない。多くの専門家が一致する結論である。

 だから、私は常々不思議に思ってきた。いつの頃からか、世論調査では常に年金改革が政策課題の第1位に挙がるようになった。普通に考えれば、自分に不利になるような改革を望む人がいるはずがない。とすれば、年金改革を望む人びと、とりわけ中高年の人びとは、まったく逆の結果――抜本改革が断行されたら、現在の給付額が維持される、もしくは増額されると思い込んでいるのではないだろうか。