なぜ「ハウジング・ファースト」なのか?

 住居にある程度の安定と安心があれば、その上で日常生活・社会生活、さらに職業生活を組み立てていくことができる。誰にとっても、わざわざ説明されるまでもないことだろう。しかし、路上生活者に対しては、

「まずシェルターで集団生活をして、次はグループホーム等で生活訓練、それが終わったらアパートへ」

 という「ステップアップ方式」の支援が適切と考えられやすい。これは日本だけではなく、他の先進国でもそうであった。しかし近年、米国は方針を転換しつつある。

「米国に『Pathways to Housing』というNPOがあります。本部はワシントンDCにあって、米国全土で活動しています。ここは、困窮者に『まずアパートを提供する』という『ハウジング・ファースト』の理論に関する本も出版しています」(稲葉氏)

「Pathways to Housing」サイトに示されている、重度精神障害者への住居支援のコスト。精神科病院へ収容すると、まず地域で住居を提供する場合の約21倍のコストが必要だ

「Pathways to Housing」は、重度精神障害者を対象とした社会実験を行ったことがある。重度精神障害者たちに、まずアパートを提供する。そして、入居したあとで専門家の混成チームが訪問して支援していく。

 重度精神障害者たちも、「まずは病院、ついでグループホーム、最後に可能だったらアパートでの地域生活を」というステップアップ方式の対象となりやすい。しかし、この社会実験の結果は、驚くべきものだった。「まずアパートに入居を、そして必要な支援を」という方法は、非常にコストが低かったのである。コストはシェルターよりも刑務所よりも、精神科病院への入院よりも低い。

 それに、ステップアップ方式にこそ「無駄」が生じやすい。

「『まずシェルターで集団生活、ついでグループホームで生活訓練』というステップアップ方式だと、脱落する人が出てきて、やり直しになるんです。だから、直接アパートを提供した方が、財政的にも成功しやすいんです。これは統計で示されています」(稲葉氏)

 日本でも、似たような試みが続けられていた時期があった。

「東京では、2004年から2009年にかけて、『ホームレス地域生活移行支援事業』で住宅提供が行われていました。路上生活者の人たちに、民間アパートを1ヵ月あたり3000円で提供する、というものです。2000人近い人たちが、アパートに入居しました」(稲葉氏)

 もちろん、過去に前例のなかったことである。

「いろいろと、問題点はありました。アパートの契約のやり方をどうすればいいのか、など。それも含めて、『ハウジング・ファースト』の実験でした。でも、アパートを借り上げる費用が高いという理由で打ち切りになりました。ただ、従来のステップアップ方式とのコスト比較はおこなっていないのです」(稲葉氏)