青い光を追い求めて
ひとり荒野を行く

「青」――それはLED研究者にとって、長い間の“聖域”であった。光の三原色である赤、緑、青の三つが揃えばあらゆる色の光をつくり出せるが、今から一〇年ほど前までは、青色の光を出すLEDは開発されていなかった。正確にいうと、暗いながらも多少は光るLEDは発明されていたが、実用に堪えるだけの十分な明るさを持つ青色LEDはなかったのだ。

 その実用化に向けて大きな道筋をつけたのが中村だが、青色LEDをめぐっては世界中の研究者が開発にしのぎを削ってきた。あたかも“青い鳥”を探す旅に似て、「二〇世紀中には不可能」と思われていたのが青色LEDの開発だったのである。

 製品化成功をきっかけに、昨今は中村にスポットが当たりがちだが、中村より一五年も前から、この道一筋の先駆者がいたことも忘れてはならない。その先駆者の基礎研究と中村の応用研究とがドッキングして、青色LEDの実用化が可能になったのだ。ここでは日本における青色LEDの開発小史を紐解いてみることにしよう。

 初めに開発の流れをわかりやすくするため、研究成果をトピックスで示してみたい。年は専門誌に論文が発表された時点とした。個々の成果の内容と意義については、後ほど説明しよう。

(1)一九八六年 サファイア基板上に窒化ガリウム多層薄膜の結晶成長に成功(バッファ層の導入)=名古屋大学・赤崎勇、天野浩

(2)八九年 電子線照射によるP型窒化ガリウム結晶の実現とP―N接合のLED作成=赤崎、天野

(3)九一年 ツーフローMOCVD(有機金属化学気相成長)装置の開発=日亜化学工業・中村修二

(4)九二年 熱処理によるP型窒化ガリウム結晶の実現=中村

(5)九四年 青色LEDの量産技術の確立=中村

 専門的な用語が出てきて恐縮だが、明らかに前半と後半で開発者が代わっているのがよくおわかりだろう。基礎研究段階では赤崎勇・名城大学理工学部電気電子工学科教授(名古屋大学名誉教授)がリードし、応用研究は中村の独走であることが一目瞭然である。

 青色LED開発の歴史は、かなり古い。六〇年代には世界の研究者が競って開発に取り組み、発光材料の合成に関する最初の論文は六九年に発表されている。七〇年代に入ると毎年平均数十件の論文が発表され、研究はますます盛んになったが、決定的なブレークスルーは起こらず、青い鳥は青い鳥のままで終わっていた。

 LEDは、高エネルギーの電子を持つN型半導体と低エネルギー電子を持つP型半導体を接合して作られる。電圧をかけると、N型からP型へ電子が移動し、余ったエネルギーが光として放出され光るのである。問題は、この半導体を何で作るかだった。

 その当時、青色発光材料として、窒化ガリウム、セレン化亜鉛、炭化ケイ素の三つが知られていた。炭化ケイ素はLEDまで試作されていたものの、明るさの度合いである「輝度」が低く、実用化には向かないと早い段階ではずされた。残る選択肢は、窒化ガリウムかセレン化亜鉛の二つに絞られた。