一方の日本は、大東亜共栄圏を掲げてアジア諸国に進出していったことがまず挙げられるでしょう。戦後、日本は高度成長後のバブル崩壊で、自信と余裕を失い、諸外国に対する警戒心が大きくなっていった。「外国にとやかく言われたくない」「他の国がどう言おうが関係ない」「われわれが正しい」、そういう考えから、ナショナリズムが高まっていったと考えられます。

 両国共通なのは、インターネットでの少数の過激な言動が目立っているところでしょう。これに影響を受けてしまっている。お互いが、一部の言動を全体の考え方だと捉えてしまう。こうしてナショナリズムが盛り上がってしまい、正面衝突してしまっているのが、今の状況ではないでしょうか。

――先ほどから両国間にはかつての「余裕」がないということを指摘されています。もう少し具体的に言うと、どのようなことなのでしょうか。

 私は28年前、1986年に日本に来ました。1985年に当時の中曽根康弘首相が靖国神社に参拝した後でした。当時、中国ではものすごい日本批判が巻き起こっていました。たとえば、上海のバス停では、バス停の看板に猛烈な批判を書かれた壁新聞が張られていました。また、上海の小学校の壁には、日本の軍帽をかぶって、血の滴った軍刀を持った中曽根康弘首相の絵が描かれていました。

 日本がどう対応したか。日本は「日本に対してそういう捉え方をしてしまう中国の発展に貢献するために、もっと援助をしよう」となっていました。非常に余裕のある対応でした。さらに後藤田正晴官房長官の「靖国神社参拝は控える」という談話も出された。

 今、もしこういうことをしたらどうなるか。「中国の圧力に屈した」となる。今は決してこういうことはできないと思います。

なぜ中国は靖国参拝を問題視するか
認識したい周恩来の人民説得ロジック

――しかし、靖国問題は両国間で大きな問題となってしまいました。島の問題は主権の問題で「お互いに触らない」というのは、ひとつのプラグマティックな解決法のように思います。では、靖国問題はどのように乗り越えるべきなのでしょうか。安倍首相をはじめ現政権は自ら「今後参拝しない」とは言わないと思います。

 なぜ中国は日本の首相が参拝することを問題視するのか、ということを考えなければなりません。それは、周恩来首相が日中国交正常化のとき、中国の国内に向け、日本との関係を改善することを人民に説得するプロセスと深く関係しているからです。

 日本との国交正常化を前に、毛沢東と周恩来は、日本から賠償金を得る交渉は、長いものになるし、今後、日本と対等の関係を構築していくことを考えると、日本から賠償金を取ると、その関係性を結ぶことは難しくなると考えました。

 そうして、日本からは賠償金を取らないということを決めました。しかし、問題は実際に日本の侵略によって被害を受けた人民を、どう説得するかといことです。日本からの国家賠償を受け取って、配分することを人民は期待していました。