「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う」

 カール・ブッセの詩である。

 それを現圓歌の三遊亭歌奴が「授業中」という落語にして爆発的人気を得た。「山のあな、あな、あな」と吃(ども)るのである。

先代も吃音を克服
「痛えと思ったら、吃るな」

 先代の圓歌も吃音だった。新潟出身で訛りもあった先代は吃音と訛りの二つのハンディを克服して落語家となった。

 現圓歌が先代から稽古をつけられる。
 「おい、前に囲いができたな」
 「へーい」

 最初にこれをやってみろと言われて、やろうとしても、どうしても「前」と言えない。

「ンン……」と吃っていると、パーンと豆をぶつけられた。

「痛えと思ったら、吃るな」というわけで、吃るたびに、それが飛んでくる。そして、「豆拾ってこい」と言われて、拾うと千いくつあった。

 それが1ヵ月経つと500になり、2ヵ月で300になり、3ヵ月で100になって、最後は10くらいまでになった。

「師匠はね、弟子を殴るんですよ。俺の気持ちがどうしてわからねえんだってね。その時にひょいと見ると、師匠泣いているんですよ」

 こう語っている圓歌に、先日、『俳句界』の対談で会った。私はこの雑誌で「佐高信の甘口でコンニチハ!」という連載対談をやっているのだが、師匠にも登場してもらったのである。

「先代も吃音だったそうですね。稽古で間違える度に豆をぶつけられたとか」最初に私がこう問いかけると、圓歌は、「そうそう。吃るたんびに豆を一つずつぶつけてくるんだよ。上手かったね、指にのっけて、ぴょこんぴょこんとね」と答え、さらに私が、「ちゃんと当たるんですか」と重ねて尋ねると、「当たる時もあるし、ごまかして逃げる時もあったね。その豆が下に溜まるんだけど、結局ね、それがだんだん少なくなってきた。

 私が吃りだって言うと喜んじゃって。よく『お前はあそこでつっかえたから、あの山のあなあな……か、あんなに人気になった。俺はすらすら言えるから、いけねえ』って言ってましたよ」と応じ、一拍置いて、「すらすら言えやしねえんだけどね」と笑った。

 圓歌は、落語家になれば吃りが治るんじゃないか、と思ったという。もちろん、最初から吃りの師匠を選んだわけではない。