亡くなって四半世紀にもなろうとするのに、今もなお惜しまれる成田三樹夫は悪役の似合う渋い俳優だった。その成田は日本海に面した東北の港町、酒田の小(光ヶ丘小)中(酒田一中)高(酒田東高)の私の先輩である。高校時代に私は、卓球部で成田の弟の洋介とダブルスを組んでいた。
実家も近く、成田の母親は冗談まじりに「悪役ばかりやっていて、本当に悪い人間にならなければいいが…」と心配していたものである。
カネや名声や権力が欲しいなら
役者なんてやるな
そんな成田の、ある週刊誌での大放談に私は快哉を叫んだ。惹句には「春遠い港町に育ち、喧嘩を波枕の男一匹」とある。
「最近の役者というのは、いやらしいのが多すぎるよ。総理大臣主催のナントカ会というと、ニコニコして出かけていって、握手なんかしてるだろう。権力にヘタヘタするみたいな役者じゃ意味ないよ」
1982年冬のこの発言はいまでも有効だろう。いや、いまこそ味読されるべきなのではないか。胸のすく成田の放言を続ける。
「オレも、一言で言えば流れ者っていう感じね。世の中全体という視点からみると余計者じゃないかな。昔の河原乞食タイプだしサ。ただ、昔の河原乞食という言葉が大好きなわけよ。社会的に追い立てられた時代でも権力をバカにするみたいな芝居をやってたわけだからね。これは心根の問題、なんで役者やるかという問題よ。カネを欲しがったり、名声や権力が欲しいなら、役者やるなって言いたいわけよ」
こう追い打ちをかけたうえで、成田は「周りも、おかしいと言わなきゃダメよ。人気スターさんです、美しい女優さんですなんてチヤホヤするから、バカがどんどん図に乗るんだよ」とトドメを刺す。
あるいは、これは役者に限らないかもしれない。
私よりちょうど10歳上の成田に、残念ながら私は会ったことがない。1990年に55歳で亡くなってしまったからである。
高校時代は歌手の岸洋子と同期で、3年の時には文化祭でチェーホフの「煙草の害について」という一人芝居を演じ、「好評だった」というが、どれだけの生徒が理解できたかは疑問だろう。
『鯨の目』(無明舎出版)という「成田三樹夫遺稿句集」の序文に、13歳下の温子夫人が、ある時、成田からこんな手紙をもらったと書いている。
「僕もこの辺でもう一つ腰をおとして勉強の仕直しをするつもりです。とにかくもっと自分をいじめてみます。男が余裕を持って生きているなんてこの上なく醜態だと思う。ぎりぎりの曲芸師の様なそんな具合に生き続けるのが男の務めと思っています。色気のない便りになって御免なさい」
「六千万年 海は清いか 鯨ども」
『鯨の目』という句集にはこんな句も入っている。