病院を利用する本人や家族にとって、タダほど有難いことはない。所得が増え、カラーテレビや洗濯機など家電製品やマイカーなどがどっと家庭に浸透した時代である。自宅で面倒なこと、厄介なことがそれらに置き換わる日々を体験すると、老人介護も手放したくなる。病院依存が高まり、社会的入院と言われる現象が出来する。高度経済成長は日本人の心を変えていった。

 受け入れた病院の中には、薬漬け、点滴漬けで報酬を稼いだり、褥瘡の発症やロープでの縛り(抑制)など手抜きケアが平然と行われた。

急速な高齢化で社会的入院から脱却へ
2005年厚労省が「介護療養病床の全面廃止」英断

 こうした社会的入院を問題視した厚労省(当時)は、1983年に慢性期の70歳以上の患者を対象とした「特例許可老人病院」という新しい病院制度を作り、独自の報酬やシステムを導入した。老人病院という名称がここから始まる。

 その後、1990年に「介護力強化病院」と名称を変え、部屋面積を広げるなどより良い療養環境作りを目指して1992年には「療養型病床群」となる。さらに、2001年に「その他の病床」をなくして「一般病床」とし、併せて療養型病床群を「療養病床」として明確に分離した。それまでは、精神病院と結核病院、そして「その他の病院」という位置づけしかなかったのである。

 もともと社会的入院とは、急性期の一般病床の長期入院高齢者を指していた。そのコストが医療保険を圧迫し出したため、入院費の報酬を徐々に切り下げ患者の「追い出し」にかかった。その受け皿として上記の慢性期の病院作りが推進され広がった。

 その後、療養型の長期入院患者も社会的入院と言われるようになる。ところが経済成長が鈍化し、社会保障に回す税収が追い付かなくなると様相は一変する。医療保険への税の投入が負担となり、医療費の削減へと議論が進みだす。とりわけ諸外国と比べて在院日数の長さが際立っていることが指摘され、長期入院者の多い療養病床の見直し議論が高まっていく。

 2000年に介護保険制度が発足する際に、療養病床をどのように取り込むかを巡って相当にもめる。当初、療養病床をすべて介護保険施設に編入して社会的入院を解消する方針だった。だが、それによる保険料の高騰への懸念や医療機関の反対で頓挫し、介護型を設けると言う決着になった。結局、療養病床は介護保険が適用される「介護療養病床」と、従来通り医療保険が適用される「医療療養病床」に分かれた。同じような症状の患者が異なる制度の対象となり、利用者や国民には理解しにくくなる。

 介護報酬が予想より少なかったこともあって、介護療養病床はあまり伸びなかった。2000年10月時点で、介護療養病床は9万6000床、医療療養病床は16万7000床となった。急速な高齢化、その割に介護施設の供給不足のため、療養病床全体としては26万4000床となり、5年前から12.7%も増えた。

 介護保険の導入のひとつとして生活の場でない病院での長期滞在、即ち社会的入院からの脱却が挙げられていた。介護療養病床の縮小、廃止議論は水面下で続けられていた。

 それが2005年になって、厚労省が決断に踏み切る。「6年後の2012年までに介護療養病床の全面廃止」を打ち出した。