そして、チャスの確信は現実のものとなります。

 12月31日付けメロディーメイカー誌に、ジミ・ヘンドリックスを賞賛する記事が掲載されます。曰く『ファンタスティックなアメリカ人ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスは水曜日(28日)ロンドンのプレイゼス・クラブに彼を見に来たスター達の心を吹き飛ばした…しばしば歯でギターを弾いたり、全く手を使わずにギターを弾くようなまれにみるテクニックを持っている。ジミは67年にはロンドンのクラブで大きな評判を集める一人になるだろう。』

 そして、同誌1月7日付けのシングル・チャートに“ヘイ・ジョー”が48位に初登場します。2月5日付けでは4位にまで上昇します。

 3ヵ月半前にロンドンに到着した時、誰がこのジミ・ヘンドリックスの成功を想像し得たでしょうか?

その後の歴史

 1966年9月24日にヒースロー空港に降り立った時には、何のあても具体的な計画もなかったジミ・ヘンドリックス。1月7日にデビューシングルがチャート初登場するまでの3ヵ月半の間に彼の身に起きたことは、ロックの歴史に刻まれるべき、無から有が生まれる爆発的な展開です。

 チャス・チャンドラーは、第2弾シングル“紫のけむり”を生み、7月には英国でデビューアルバム「アー・ユー・エクスペリエンスト?」を発表します(写真右上)。

 67年6月に米国に凱旋。まずは、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。ギターを燃やすパフォーマンスで有名ですが、音楽的に見所多数です。今や、その全貌を聴くことができます(写真左)。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが紹介しているのも印象的です。

 全ては、プロデューサーのチャス・チャンドラーの采配でした。

 その後、第2弾アルバム「アクシス:ボールド・アズ・ラヴ」(写真右)を発表。サイケデリック時代を今に伝えつつも普遍性を獲得した稀有なアルバムです。“リトル・ウィング”の34秒間のイントロは、ジミの作曲家・ギタリストとしての底知れぬ実力の証明です。

 そして、満を持して発表したのが、今週の音盤「エレクトリック・レディランド」です。今では、ジミが残した膨大な録音が様々な形態で発表されていますが、実は、ジミが生前に発表した最後のスタジオアルバムが「エレクトリック・レディランド」です。音楽的冒険の極致です。そして、ここには、「百科全書」が解説する“天才”が溢れていて、ロックミュージックの楽園が存在しています。

(音楽愛好家・小栗勘太郎)