リッツ・カールトンと石坂産業の共通点
高野 これまでの経営者の思考回路は、まず「何をするか」を決め、次に「どうやるか」を決め、最後に「何のために」を考えていました。たとえば、「土地が余っているからホテルを建てよう」→「どういうサービスを提供するホテルにしよう」→「そのホテルで地元に貢献しよう」という考え方です。でも、石坂社長は違います。
石坂 違いますか?
高野 まず、「永続企業になろう」と考え、次に「地域に愛されるようになろう」、そして最後に「何をやるか」と考えています。つまり、哲学からスタートしているのです。これはリッツ・カールトン初代社長のホルスト・シュルツィ氏と同じです。ホスピタリティという価値を伝えようというところから始まって、最後にホテルをやろうと考えています。
石坂 なるほど。社長である私のミッションは石坂産業を永続企業にすることです。それが創業者である父の夢であり、その夢を継いでいこうと考えています。
高野 それに、石坂社長はメッセージを伝えるのが抜群にうまい。そのメッセージは現場で一緒に汗をかいたうえに出てきたものなので、誰の胸にもスーッと入ってきます。そうしたわかりやすい言葉で情報発信されて、外部の方を会社に招き入れていますよね。
石坂 職人気質の父は、「一生懸命に仕事をしていれば、みんなが見てくれる」と言っていましたが、今の時代、がんばっているだけでは評価してもらえません。自分たちの仕事や取り組みを発信することが必要だと思いました。石坂産業は以前からよいものをたくさん持っていました。
高野 はい。
石坂 でも、鎖国状態にあったため、誰にも知られず、評価もされませんでした。そして鎖国の中に暮らす自分たち社員も、その技術やノウハウがどれほど価値あるものか、気づいていませんでした。そこで私は出島をつくりました。
高野 見学通路や里山公園ですね。
石坂 はい。すると、周囲からいろいろな評価を得られるようになり、社員も自社の価値に気づき始めたのです。徐々に「オレたちの会社ってすごいじゃん」と思うようになり、自分たちの仕事にプライドを持つことができたのです。こうして少しずつ社員は変わっていきました。詳しくは私の初めての著書にありのままを出し惜しみなく書きましたので、参考にしていただければと思います。高野さん、非常にためになる連載をありがとうございました。
高野 こちらこそ楽しかったです。あっというまでした! また御社に伺うのを楽しみにしています。(終)
埼玉県入間郡三芳町にある産業廃棄物処理会社・石坂産業株式会社代表取締役社長。99年、所沢市周辺の農作物がダイオキシンで汚染されているとの報道を機に、言われなき自社批判の矢面に立たされたことに憤慨。「私が会社を変える!」と父に直談判し、2002年、2代目社長に就任。荒廃した現場で社員教育を次々実行。それにより社員の4割が去り、平均年齢が55歳から35歳になっても断固やり抜く。結果、会社存続が危ぶまれる絶体絶命の状況から年商41億円に躍進。2012年、「脱・産廃屋」を目指し、ホタルや絶滅危惧種のニホンミツバチが飛び交う里山保全活動に取り組んだ結果、日本生態系協会のJHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得(日本では2社のみ)。
2013年、経済産業省「おもてなし経営企業選」に選抜。同年、創業者の父から代表権を譲り受け、代表取締役社長に就任。同年12月、首相官邸からも招待。2014年、財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。トヨタ自動車、全日本空輸、日本経営合理化協会、各種中小企業、大臣、知事、大学教授、タレント、ベストセラー作家、小学生、中南米・カリブ10ヵ国大使まで、日本全国だけでなく世界中からも見学者があとをたたない。『心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)にも出演。「所沢のジャンヌ・ダルク」という異名も。本書が初の著書。