トップ2人の引退がエコシステムを拡大させる

ジェニー いまのお話は目から鱗でした。まず企業経営をエコシステムの観点から考えたことなんてありませんでした。経営陣の入れ替わりということでは、私がトレンドマイクロの本業から文化や文学に軸足を移し、スティーブが社会事業のために身を引き、エバがトレンドマイクロの中枢に残りCEOとしてマネジメント全体を取り仕切るという形となりました。

ジェニー・チャン[トレンドマイクロ CCO兼共同創業者] 1956年台湾生まれ。台湾大学中文科卒業。1989年スティーブ・チャンとともにトレンドマイクロを設立。同社の発展、戦略、マネジメントに直接携わってきた。

 われわれ2人は表面的に、これを単なる「引退」と考えていたのですが、先生ご指摘のように、会社をよりオープンにして、自分たちのエコシステムを拡大する意味があるのですね。われわれが経営に深く携わらなくても、あれこれ指図しなくても、トレンドマイクロはより本質的な存在に成長することができると。

 CCOの職務についても、深い示唆をいただきました。私はこの職に9年間ついており、何をすべきなのか、いつも悩み、絶えず試行錯誤していました。野中先生の先ほどのお話をうかがい、霧が晴れたような感じです。

 CCOという役職の鍵となるのは物語りなのですね。物語を語り、語らせ、歴史を創り、折々まとめあげていく。それが戦略につながっていくと。私はそんなことを考えたことがありませんでした。とても素敵なアイデアです。

 私はCCOとして、社会的責任という概念をトレンドマイクロに植え付けたいと考えていました。と同時に、われわれの物語を社会に向けて発信したいとも思っていました。そうすれば、われわれが素晴らしい経験をした時に、社外の人とそれを共有できますし、逆に社外の人から多くの知恵を学ぶこともできます。それがこの本を書いた理由です。そのきっかけにこの本がなることを願っています。

スティーブ 野中先生は50年という長い間、経営哲学者として活躍されています。その間、多くの経営理論が現われ、多くは消えていきました。社会の変化に適合できなかったからです。

スティーブ・チャン[トレンドマイクロ 前代表取締役会長] 台湾出身。 1988年に渡米。その後、1989年に来日し、トレンドマイクロの前身となる企業を設立。91年に「ウイルスバスター」の販売を開始。96年に現在の社名に変更した。2005年にエバ・チェンにCEOの座を譲り、最近は主に後進の指導に当たっている。

 ところが野中先生の理論は変化に適合して生き残っています。先生の理論が世界中のCEOやマネジャーになぜ重宝されるのか、尋ねられたら、私はこう答えます。単なる理論ではないからだ、と。

 一般的にいえば、理論は過去の経験に照らして導き出されるもの、重要業績指標をクリアできるようにケーススタディを修正する基盤となるもの、さらに経営施策の何が成功だったかを説明するためのものです。

 ところが野中先生の理論はそれと違うのです。人間が深く関わり、人間を基盤においているからです。

 人間は動物と違い、意識を持っています。意識をもつ2つの主体が一体となれば、意識も共通化し、それが一つの新しい基準となります。野中先生が先ほど総合と言われたのはその基準のことだと思います。経営によって人間の意識を育成することができるのです。