戦略の本質は物語である

野中 本書でもう一つ、興味を引くのは、ジェニーさんの役職、そのCCOについての記述です。

 CCOという役職はかなりユニークです。トレンドマイクロは、利益を追求するビジネスに、利益とは対極の文化という要素を埋め込むことで、絶妙な経営バランスを創り出しているのです。それこそ「中庸経営」と名づけられるでしょう。

 21世紀の企業経営においては、多種多様な関係者が創り出す知の生態系をダイナミックに動かしていくことが重要となります。その要になるのがCCOではないでしょうか。

 しかも、ジェニーさんがお好きな文学がこのCCOという役職に大いに関係があります。

 つい最近、戦略学の泰斗といわれるイギリスの国際政治学者、ローレンス・フリードマンが著した『Strategy: A History(戦略:歴史)』(オックスフォード大学出版局、2013年)という700ページを超す大著を読みました。

ギリシャ・ローマ時代の戦争に関する歴史書から、マイケル・ポーターの著作に代表される現代の経営書まで、古今東西あらゆる戦略本を読み解き、戦略とは何ぞや、を考究した結果、彼はあるシンプルな結論に至りました。

 それは戦略の本質は物語りだということです。つまり、戦略は文学に非常に近いのです。

 安定した静態的環境においては、マイケル・ポーターの唱えるファイブフォース分析のようなツールも役に立つでしょう。戦略を立てるのに物語は要らないわけです。

 ところが現在のように、変転常なき環境においては、そうしたツールは役立ちません。戦略を立てるために私たちがすべきなのは、誰もが共感できる物語りを関係する様々な人々と共に常に創り続けることです。そして、同時にそれを実現していくことなのです。

 文学と戦略が唯一異なる点といえば、文学には終わりが必ずあるのに対して、戦略にはそれがないこと。戦略はオープンエンドの物語りです。われわれは環境や状況の変化に対応して、「終わりなき物語」を創り続けなければならないのです。そのためには、誰もが共感し、ぜひとも実現させたいと思わせる共通善としてのビジョンを掲げながら、試行錯誤を繰り返し、新たな物語を紡ぎ出していかなければなりません。その絶え間ないプロセスそのものが戦略を創ることであり実行することであるといってもいいでしょう。

 CCOの重要な役割は、社員それぞれが仕事人としての自らの物語りをつくるための支援を行うことです。誰でも自分のキャリアに即して、さまざまな思いで日々の仕事に向かっているはずですが、「自分は何のために働いているのだろう」「将来はどうなりたいのだろう」と、本質的な思考を行う時間があまりありません。

 そこにCCOの出番があります。それぞれがそうした思いを自由に語り合える場をつくり、自分の物語りをつくり上げる手助けをし、さらには全員の物語りを会社の物語りと重ね合わせて、全体の物語、すなわち戦略に仕上げていく。実に重要な仕事です。