中国経済が低迷している中、2009年の中国は波乱の年になりそうだ。1年間で五輪特需によるバブルとその崩壊と両方を経験した中国だが、さて、2009年はどうなるのか?

 ここに一つ、興味深いジンクスがある。実は中国の過去を振り返ると、終戦後以降、末尾に9のつく年は、歴史に残る波乱の年になっているのだ。さかのぼると以下のようになる。

【1949年】いわゆる中華人民共和国が建国された。毛沢東によって中華人民共和国の成立が宣言された新中国建国の年である。第1期中国人民政治協商会議・第1回全体会議が開幕された。

【1959年】毛沢東の大躍進政策が破綻し2000万人の餓死者が発生。チベットでは、1959年に中国の支配に抵抗する暴動が起き、中国政府が武力で鎮圧した。厳しい弾圧を受ける中、インド初代首相のジャワハルラール・ネルーは、ダライ・ラマ14世のインドへの亡命を受け入れた。

【1969年】文化大革命を実施した毛沢東の跡継ぎとして林彪(りんぴょう)が第9回党大会で指定され、改めて文革派が勝利する。新宝島領土問題でソ連と前面衝突する。

【1979年】中越戦争。中国人民解放軍がベトナム北部に侵攻し中国は敗北した。ベトナムにはソ連、中国にはカンボジアのポル・ポト政権が後押ししていたが、ベトナムとカンボジアが親ソ連側に立ち、鄧小平が侵攻を決意した。ベトナム戦争で準備された兵器や地雷により中国は敗北。1970年代前半まで続いた文化大革命による悪影響も根強くある中で中国はさらなる打撃を受けた。

【1989年】天安門事件。天安門広場にて学生が民主化運動を拡大した中、政府が弾圧し、死者が出た。

【1999年】大きな問題はないが、1997年のアジア通貨危機の影響でGDP成長率が2年連続で7%に落ち込むなど不安定な年だった。

 さて、そこで2009年である。今年は、新中国建国60周年となり、1989年に起きた天安門事件20周年でもある。国内には昨年来の火種がくすぶっている。チベット人権問題も解決しておらず、格差拡大による地方での暴動は増えるばかりである。

1.雇用問題

 新労働契約法の施行によって、雇用を控える企業が増え、失業者が増加している。2008年7月31日、人力資源と社会保障部の尹成基(イン・チョンジー)報道官が、全国の登録失業者数は835万人で、失業率が4%と発表している。失業率のパーセンテージは日本とほぼ同程度だが、下半期はホワイトカラーの失業者が大幅に増えることが予測される。