また、歴史認識や安保法制についての広報のあり方についても考えるべき点がある。たとえば、歴史の記述に問題ありとして日本政府が直接米国の出版会社に訂正を申し入れたことが、米国ではニュースとなった。

広報のあり方は再検討の必要
重要なのは「市民社会」の育成

 最近、いわゆる「パブリック・ディプロマシー」(*注)の一環として、政府が直接かかわる形の広報が強化されているが、これをやりすぎると日本は共産主義国家である中国と競って政府がプロパガンダを行っていると誤解されかねない。

 むしろ英語で発信ができる日本の有識者を育てる努力を強化するべきなのだろう。彼らは政府の意見を代弁するのではなく、建設的な議論を展開することによって日本の立場を強化することに、貢献しうるのだろう。

 また、強い政権がタブーを排して行動していくことは好ましいことであるが、そのような時期にこそ、権力をチェックするべきメディアや知的一貫性を持つべき知識人の役割は重要となる。ところがメディアや知識人は、政権に迎合的となり建設的な批判を行っていない、といったパーセプションが内外で拡がっていることにも留意しなければならない。

 民主主義体制の下で表現の自由は中核的な価値であり、確実に担保されねばならない。成熟した民主主義においては国家の介入は最小限にとどめなければならず、個人や民間主体の自立性や創造性が発揮される「市民社会」を育てていかなければならない。

(*注)伝統的な政府対政府の外交とは異なり、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動のこと。「対市民外交」や「広報外交」と訳される(外務省の説明より)。