世界中で受け入れられる
最高のアトム映画を作る

 1951年に連載マンガ『アトム大使』の登場人物の1人として登場。翌52年に『鉄腕アトム』として連載がはじまり、63年には初の国産長編テレビアニメとして、平均視聴率30%を超える人気を誇った手塚治虫の代表作が初めて映画化された。

 アメリカ・香港の合作となる今回は、日本のみならず、世界60の国と地域での配給が決定。アメリカでは10月23日より約3000スクリーンで公開される。これはハリウッド大作と肩を並べる公開規模だ。

 これまでに幾度となく映画化が噂されながらも、実現しなかったものが、今回、なぜ実現したのか? その舞台裏から『ATOM』製作の裏話を、監督のデヴィッド・バワーズと、手塚治虫の子息で、監修を務めた手塚眞に語ってもらった。

──まずは今回の映画化が、どういう経緯で実現したのか教えてください。

デヴィッド・バワーズ&てづか・まこと
てづか・まこと
1961年、手塚治虫の長男として生まれる。ヴィジュアリスト、映画監督など多彩な肩書きを持ち、監督作『白痴』(99)はヴェネチア国際映画祭に招待され、デジタル・アワードを受賞した。有限会社ネオンテトラ代表取締役。株式会社手塚プロダクション取締役。宝塚市立手塚治虫記念館総合プロデューサー。『ATOM』では監修・宣伝プロデューサーを務めている。
David Bowers
ドリームワークスとアードマンの共同製作映画『マウス・タウン ロディとリタの大冒険』(06)を監督・脚本。英国アカデミー賞にノミネートされた。またドリームワークスでは『プリンス・オブ・エジプト』(98)のストーリーを担当するなど、ドリームワークスとアードマン作品の重要スタッフとして活躍中。

手塚:最初に(本作の製作も手がけた)イマジ社から映画化のオファーがありました。それ以前にも、手塚プロダクションでは幾つかの映画会社と話をしてきましたが、それが全て中断した後だったので、非常にタイミングが良かったんです。また、イマジ社が原作を尊重した映画を作りたいと申し出てくれたこともあって、比較的スムーズに話が進みました。

監督:実際の製作作業も、特にぶつかるようなこともなかったですね。幸運だったのは、手塚さんとお仕事をできたこと。製作過程は、もしかしたら地雷原となったかも知れない。それを、無事に通過できたのも、手塚さんがガイドのような役割を果たしてくれたからだと思います。例えば初期のデザインで、アトムのイメージがちょっと違うなって、自分たちでも違和感を感じていたときに、手塚さんがさりげなくビシッと指摘をしてくれたことで、最終的により良いアトムを作ることができました。本当にありがとうと申し上げたいですね。

──それは、どんな指摘だったのでしょう?

手塚:1つ申し上げたのは、日本人にとってアトムのキャラクターは、「カワイイ」というイメージがあることです。これは微妙なニュアンスで、難しい部分なんです。というのも、「カワイイ」という日本語に相当する英語も、その感覚もないんですね。単純に言葉だけなら、「キュート」とか「ラブリー」もありますが、どれを当てはめてもちょっと違って、もうちょっとピュアなものだと思います。そこから先は、もう、具体論や技術論でしかない。どこどこを、あと何センチこうしてくれっていう(笑)。