「姿が見えないと思ったら、ソファに座って寝てるんです。ちょっと暇になるといつもこれで・・・・・・」

 上海の日系企業のオフィスでの出来事。何度注意しても改善がなく、経営者はやむなく彼女をクビにした。

 「彼女はいわゆる“80后”(パーシーホウ、80年代生まれの意)。本当に仕事になりません」とその経営者は話す。

 彼らの存在が深刻な社会問題になっている。筆者も泣かされた経験を持つひとりだ。「この方たちに電話でフォローしたいの。お願いね」。返ってきたのは「あー、面倒くさい」という言葉だった。一瞬耳を疑ったが、彼女は受話器を持ち上げるたびに、聞こえよがしのため息を何度も繰り返した。DPEサービスで写真の焼き増しを頼んだときのことも忘れられない。発注した枚数と受け取った枚数が合わないので、「確認してください」と言うと「これは私の仕事ではない」と逃げた。

 それ以来、筆者にとって“上海社会における80后”はひとつの観察すべき対象となった。一人っ子政策は1979年から導入されたが、 “80后”はまさにその主人公である一人っ子たち。すべての80后を否定するわけではないが、上海社会では少なくとも“80后”に肯定的なまなざしを送る人は少ない。

30過ぎて親のスネをかじる
中国版ニートが急増

 四川料理の火鍋を囲み、真っ昼間からタラつく若者。その日は日曜、祝日のどちらでもなかった。一見して仕事に就いていないことがわかる。そば立てる耳に聞こえてくる会話は次のようなものだった。

 「俺、こないだ面接したんだ。『月5000元はくれ』って言ったんだけど」

 「お前の学歴で5000元かよ」

 5000元(1元=約13円)といえば高給だ。名門大学卒の初任給ですらたいてい3000元から。十分な学歴も経験もないのに、いきなり初任給5000元を要求とは。当然、企業は却下する。卒業後、未就職のままに時が流れて30歳を目の前にする、そんな“80后”はひとりやふたりではない。