サイボウズ社長 青野慶久(撮影:和田佳久) |
筋骨隆々でヒーローにはお決まりのマント、真っ赤なシャツに、ピチピチの青いブリーフ。かなりダサいが、憎めない。
青野慶久が考えた企業キャラクターのボウズマンだ。このボウズマンの声が出るパソコン用マウスなど、ユニークな顧客贈答用グッズを考え出し、たまに流暢な関西弁を操ることもあって、青野は「軽いノリの人」と思われがちである。
ところが意外にも、「格好よりも便利か否かが重要」「ムダと不便が大嫌い」。食事は3分以内、通勤は9800円で購入した自転車を使い、入浴は原則的にシャワーのみ、という生活を送る。むしろ、「堅実」「合理性」という言葉がしっくりくる性格だろう。
サイボウズの主力事業は、グループウエアという企業向けソフトウエアの開発と販売だ。
グループウエアとは、企業内の情報を共有化し、「チームワーク」を促進するソフト。つまり、業務の効率化を追求する仕事であり、青野の性格にピッタリだ。
その起業のきっかけとなった青野らしいエピソードがある。
頭に雷が落ちた ホワイトボードの“電子版”
松下電工に勤務していた1996年9月、青野はコンピュータが得意な10人ほどの仲間と情報システム関係の社内ベンチャーを立ち上げた。当時、若い青野は、電話番をすることもしばしばあったが、青野にはこの電話番が苦痛だった。
というのも、課長をはじめ、上司や同僚の多くが行き先や帰社時間をホワイトボードに書くのを忘れて外出するという状況が頻発したからだ。そんなときに限って、「何時に帰るのか」などの電話が集中する。
「もう、いい加減にしてくれ」。堪忍袋の緒が切れそうになったある日、同僚が社内用にグループウエアの原型ともいえるソフトを完成させた。それはパソコンの画面上で、部内の人が全員の外出先や帰社時間などを確認できるというものだ。ホワイトボードの電子版にすぎないが、「頭に雷が落ちたような衝撃を受けた」。
当然、青野は、このようなソフトウエアを作り、外販したいという衝動に駆られる。ところが、社内ベンチャーは企業に直販する情報システムが中心だった。市販ソフトの開発と販売は「リスクがある」という方針で実現しなかった。
それならば、自分でやるしかない──。社内ベンチャー設立後、1年も経ないうちに、同じ職場の高須賀宣、畑慎也とともに起業を決意。高須賀は30歳、畑と青野は26歳だった。