当時、ユニクロは郊外のロードサイドより「山の手」などの高級立地で売れた。お金持ちがユニクロを買う時代が来たのである。また、無印良品は、まさにその名前が示すように「印(しるし)にお金を払うのはやめましょう、(質の良い)良品を買いましょう」というメッセージを国民に知らしめ大ブレークした。

 米国でLOHAS (ロハス。1998年にアメリカ合衆国で造語され、日本では2004年頃からライフスタイルを表現する言葉として注目された)が流行っていたこともあり、日本人の価値観は無印良品的価値観に大いに共感した。当時の、ユニ・ムジの平均価格は絶頂期のDCブランドの3分の1程度だった。

 さらに、構造変化は続く。世界規模でビジネスを展開するZARA、Forever 21など、グローバルブランドの日本上陸である。アパレル業界トップと言われるワールド社の売上は3000億程度。一方、ZARA率いるINDITEXは2兆円である。ワールド社のブランドは数十に細分化され、単一ブランドの売上はさらに低くなるが、ZARAは1ブランドだ。この圧倒的なスケールの違いは、企業のコスト構造に大きな差を生み出すことになり、固定費、および、規模のメリットによる調達変動費の差によって、日本国内で細々と事業を展開してきたアパレル企業は、見切り売りや、(自らのもうけを削るぐらいの)低価格で競争しなければ生きてゆけない時代になった。

誤って導入されたMBAセオリー

 日本のアパレル産業を価格競争に陥らせた要因の一つに、当時米国から輸入された経営セオリーがあった。「選択と集中」、「アウトソーシング」という言葉は瞬く間に業界に行き渡り、アパレル業界は効率化を追求し、ROA(総資産利益率)を高めていった。「持たざる経営」こそ最先端であると信じられていた。

 当時も今も経営の定石は「選択と集中」であり、それを具体化する手法が「アウトソーシング」と考えられている。1990年代、日本のアパレル業界はODM (Original Design Manufacturingの略語で、委託者のブランドで製品を設計・生産すること)を突き進め、自ら商品を企画する機能さえ外注化し、デザインのみならずブランドまでも商社や工場に委託した。結果的に、日本のアパレル業界は、全く同じ工場で生産した製品を「ブランド名」や「売り方」だけを変え、また、それを差別戦略として推進したのである。

 当時、繊維商社に入社し、アパレル企業の下請けを9年やった私は、中国の同じ工場で高級ブランドと低価格ブランドが、全く同じ素材や仕様書(衣料品の設計図)でつくられるのを見て、「いつか、このビジネスは破綻する」と感じていた。今、その予感が的中したのである。

 戦前、戦後日本の産業力の中心となり、かつ、早い段階で産業空洞化が起き、そして今、再編が起きている繊維、アパレル業界から私たちは何を学べるか。

 「売り方」にこだわっていた経営者が「価値を売る」ことに気づいた時、「モノの見方」が変わる。そこから企業が変わり始める――。

差別化戦略は「価値」の確立

 差別化戦略といっても単純ではない。ある人は、競合が真似できないビジネスモデルを作り上げることだというが、顧客に支持されなければ、単に「違えば良い」というわけでもない。また、差別化戦略に虎の巻もない。もし、虎の巻があるなら、全ての企業が同じことをし、差別化でなくなってしまう。