舞台化によって
逆に教えられたこと

9月27日の終演後には、舞台上で主演の利重剛さん、愛加あゆさん、原作者の岸見一郎氏、古賀史健氏によるアフタートークが行われた。司会は原作の編集担当者・柿内芳文氏。

──原作における哲人と青年は、執筆時の岸見先生と古賀さんの役割を模している面があります。舞台においては、哲人が利重剛さん、青年は小嶋尚樹さんと黒澤はるかさんに当たるわけですが、それぞれご自身に該当する役柄に対してどのような感想を抱かれましたか?

古賀 小嶋さんと黒澤さんが演じる木戸親子が抱えるのは、ディスコミュニケーションの問題です。二人の間柄自体もそうですし、親子がそれぞれ利重さんを訪ねていくときも同じです。つまり親子間でもディスコミュニケーションが発生しており、利重さんともなかなか上手くコミュニケーションが取れない。言いたいこと、伝えたいこと、本当に考えていることはたくさんあるんだけど、それを伝えられない、言葉にできない。そういう二人です。
 お芝居のなかで利重さんが「それでも信じることです」と言うセリフがありましたが、相手を心から信じることができれば、おそらくディスコミュニケーションの問題は解消されるんです。そして、相手のことを本当に信じるためには、まず自分自身を信じることが必要であり、それがアドラー心理学で言う共同体感覚の話になっていく。
 僕も自分の両親と本音で何でも話しているかと言えば絶対そうではないし、周りの人たちと全部本音で話せるかっていうと、なかなかそれもできていません。だから木戸親子が抱えている個別の悩みは別としても、ディスコミュニケーションの苦しさという部分はすごく僕自身も身につまされるものがありました。

──たしかに、木戸親子がまったく噛み合わない会話を繰り広げるシーンは、多くの人にも心当たりがある気がします。岸見先生は、利重さんの教授役はいかがでしたか? とても飄々とした演技をされていましたが。

岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』(アルテ)、『人はなぜ神経症になるのか』(春秋社)、著書に『嫌われる勇気』(古賀史健氏との共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学入門』『アドラー心理学実践入門』(以上、ベストセラーズ)』、『アドラー 人生を生き抜く心理学』(日本放送出版協会)などがある。

岸見 私は、今回の上演前には利重さんと一度もお会いしたことがありません。実際の舞台を拝見して感じたのは、古賀さんがまとめてくださった『嫌われる勇気』の原稿を最初に読んだときの感想に似ています。つまり、そこに私が見事に表現されていることに対する驚きです。利重さんは私と一度も会っていないのに、あたかも私自身が舞台で演じているかと錯覚するくらい、哲人の人柄をうまく伝えてくださっていました。必ずしも原作の『嫌われる勇気』の文章からはうかがい知れないような部分まですくい取っておられるところはすごいと思います。
 カウンセリングに来られる方というのは、非常に深刻な方が多いんです。でもカウンセラーは、その深刻さを落としていく役割を果たさねばなりません。ですから利重さんが演じたような飄々とした対応も大切で、その様子を実にうまく演じておられました。まさに私が日頃からカウンセラーとして目指している姿だと感じます。さきほど利重さんとお話しした際に「今日、岸見先生と実際にお会いしたことで、明日からの演技が変わると思います」とおっしゃっていました。それは私のほうにも言えることで、利重さんの影響を受けて、あんな風に相談に来る人と接することができたらいいなと、そんなことを逆に教えられた気がしています。