文科省役人のモラルは低いが
民間企業だって笑えない

 表現の誤りに気づいたのであれば、お詫びして訂正し、説明すれば良い。異論に接しても、主張する考えが正しいと考えるのであれば、異論をいただいたことに感謝して、今後、議論を煮詰めたり、あらためて議論をしたりしていけばよい。

 通知の発信人であり発信者の組織の長が見ていなかったとは、「私は部下に責任を押し付けています」ということと同義だ。見直す場合は、廃止して新設するので間違いではなく撤回しないという役所の論理は、役所外には通用しないし、「私はごまかしています」ということを言っているようなものだ。

 ほとんど全ての国民が、言うまでもなく文部科学省が管轄する教育行政の中で、間違いに気づいたらお詫びして訂正しましょう、合意が得られないのであれば議論を尽くしましょう、それぞれの役割と責任を全うし、他人のせいにしないようにしましょう、社会常識に則って生活しましょうということを、義務教育の時代から教えられてきたにもかかわらず、これらとは正反対のことが生じている。

 この問題が収束しないのは、大学文系の要否の問題以上に、この問題が示している、事後対応の悪さ、安易性、無責任、誠実性の欠如に、ほとんどの国民が強い懸念を感じているからではないだろうか。そして、これにより、国や行政に対する信頼性が損なわれたり、さらに低下することが、根本的な問題なのではないだろうか。

 さらに悪い事に、多くの日本人にとって、政治家や行政が言い訳に終始したり、勝手に決めたり、他人に責任を押し付けたり、詭弁を弄することは、日常茶飯事で慣れっこになってしまっているように見える。

 実はこうした状況は、企業においても、特に労働行政に近い人事部門において、よく見られる光景である。

 人事部門から全社員への通知文書に間違いがあっても、訂正通知をしない。指摘されたら、指摘してきた人だけに説明する。異論に接すると、議論を尽くさず、その場しのぎの対応をする。労基署や社長や他の部の指示なので、そうしてくださいと他人に責任転嫁をする。社会の常識とは乖離している人事の世界だけの理屈を説明する――これらは、ほとんどのビジネスパーソンが思い当たる場面なのではないだろうか。

 繰り返すが、誰しも間違うことがあるのだから、間違ったらお詫びして訂正すればよい。異論に接したら、議論を尽くしたり、議論を再開したりすればよい。他人の責任にしないで、自身の責任で説明すれば良い。屁理屈をこねないでありのままの説明をすれば良い。策を弄せず、素直に表現していくことを積み重ねていけば、問題ははるかに小さい。

 それをしないで、策を弄して、虚言と詭弁の上塗りをしたあげく、自ら周囲からの信頼を損なうことが、政治や行政においても、企業においても散見される状況である。