フランス・パリを同時多発テロが襲った。なぜイスラム国(IS)はフランスを標的にしたのか。世界イスラム革命戦争の脅威に日本を含む西側諸国はどう対処していくべきなのか。国際情勢に詳しい論客・佐藤優氏が分析する。(「週刊ダイヤモンド」編集部 深澤 献)
11月13日金曜日。わずか1時間の間にパリ市内の7カ所で同時テロが発生、129人もの一般市民が亡くなり、負傷者は350人に上った。
パリでは、今年1月7日に預言者ムハンマドの風刺画を掲載した政治週刊紙「シャルリー・エブド」本社が襲撃され、編集長など12人が殺害されたが、テロの構図としては、あの事件と量的な違いはあれ、質的に変わりはない。
シャルリー・エブド襲撃事件の翌日、英国秘密情報部(SS)のアンドリュー・パーカー長官は、「シリアのイスラム過激派組織が欧米で無差別攻撃を計画している」と述べた。まさに世界の構造転換は始まっていたのだ。
過激派組織「イスラム国」(IS)は、初期イスラムの時代に回帰すべきとするサラフィー主義を掲げており、広義にはアルカイダも含む。彼らはこの21世紀に、唯一神アッラーの法(シャリーア)の下、カリフ(預言者ムハンマドの後継者)が指導する単一のイスラム帝国(カリフ帝国)を本気で建設しようとしている。要するに西側諸国に対する「世界イスラム革命戦争」を始めたということだ。その目的のためには暴力やテロに訴えることも辞さない。
西側諸国の中にはロシアも含まれるし、日本も例外ではないが、その中でフランスが2度にわたって狙われたのは、この国が持つ“弱み”に原因がある。
フランスの人口学・歴史学者、エマニュエル・トッドが『移民の運命』の中で指摘しているが、フランスは基本的に同化主義を国家原理に据えている。すなわち、出自がどこであろうとフランスの言語と文化を受け入れるならば、国家のフルメンバーとして認めることを原理原則としている。「自由、平等、友愛」の下、どこの出身だろうが、どんな宗教を信じていようが拒絶しないというのがフランス共和国の理念なのだ。
さらに、ミシェル・ウエルベックの小説『服従』では、フランス社会が持つイスラムに対するある種の“諦念”と“憧れ”が描き出されている。フランス人は、アッラーの神のためなら死をも厭わないイスラム原理主義者たちの姿に、おびえと諦めの感情を持つと同時に、近代的価値観が行き詰まる中で、あのプレモダン(前近代)的な考えの中にポストモダン(次のモダン)的なものを見つけ、憧れの念すら抱いているのだと思う。
こうしたフランス特有のメンタリティが、ISにとっては“弱み”に映るわけだ。
もちろん今、無差別テロに見舞われたフランスでは、イスラム過激派への憎悪が高まっている。しかし、今後も国内で激しいテロが続いた場合どうなるか。フランス国民はテロとの戦いに闘争心を燃やすのではなく、むしろ“テロ疲れ”に陥り、ISとは距離を置くべきとの声が高まるかもしれない。
バルス仏首相は今回のテロを受け、シリア空爆を継続する意向を強調したが、この先も国内でテロが続けば、フランス政府は世論にあらがえず、空爆から撤退せざるを得なくなる──。ISはそんな冷徹な計算をしているに違いない。