すると、そこにはこうあった。
きぎょうか【企業家】営利のため、自ら経営・指揮の任に当たって生産を行う人。企業の経営者。
それを読み、夢はこう思った。
(つまり、平たくいうと「社長」のことか。もしくは経営者……)
しかし、それなら「社長」と書けばいいし、もしくは『マネジメント』にもあったように「マネジャー」と書けばいいのではないか──と、夢は思った。
ただ、この本ではどうやら「マネジャー」と「企業家」をあえて使い分けているようだった。そのためここでも、わざわざこの言葉を使っているのだ。
そこで夢は、今度は本の表紙をしげしげと眺めてみた。するとそこには、日本語のタイトルの下に英語で小さく「INNOVATION AND ENTREPRENEURSHIP」とあった。
このうち「INNOVATION」は「イノベーション」のことだろうから、そうなると「ENTREPRENEURSHIP」が「企業家精神」のことだろう。
そこで夢は、今度は英和辞典で「ENTREPRENEURSHIP」を調べてみた。すると「ENTREPRENEUR」という項目があり、そこにはこう書かれていた。
【ENTREPRENEUR】起業家。
そこに書かれていたのは、同じ「きぎょうか」でもちょっと字が違っていた。本の方は「企」だったが、こちらは「起」だ。
その字を見て、夢はようやく意味を推測することができた。「起」は「起こす」という意味だから、「新しく何かを始める」ということだろう。つまり、経営者の中でも特に「新しく何かを始める人」のことを「起業家」と呼んで、普通の経営者と区別しているのだ。
(となると、この本は「新しく何かを始めること=イノベーション」と、「新しく何かを始める人=起業家の心構え」について書いてあるのだろう)
夢はそんなふうに推測した。
(しかし、それなら日本語のタイトルを「起」ではなく、わざわざ「企」の方の「企業家」にしたのはなぜだろう?)
そのことの疑問は残ったが、とりあえずそれについて考えるのは後回しにして、夢は冒頭の一文の意味について、もう少し考えてみることにした。
すると、そこで分かったのは、「企業家」という言葉を作ったのは経済学者のセイだということ、そしてそれは、できてから二〇〇年以上が経ってもいまだに定義が確立されていないということだった。
(そのことを冒頭にわざわざ書いたということは──)と夢は考えた。(ドラッカーは、この本の中でそれを「確立」させようとしているのではないか。だから、最初の一文であえて言及したのだ)
とすると、まずは「企業家」あるいは「企業家精神」という言葉の「定義を確立すること」が、この本の目的の一つなのだろう。だとしたら、それについてはこの本を読み進めていけば書いてあるのではないだろうか。
そう考えて、夢は少し気が楽になった。「企業家」という言葉の意味が分からなくて戸惑ったが、それはどうやら私だけではなかったようだ。なにしろそれは、二〇〇年間、誰も定義を決められなかったのだ。そうして、この本でドラッカーがそれを初めて確立しようとしている。
(そう考えると──)と、夢は思った。(ドラッカーというのは、あらためてすごい人だ)
そうして夢は、少しわくわくしながらその先を読み進めた。
すると、夢の推測通り、そのすぐ後に「企業家の定義」について書かれていた。
そこにはこうあった。
企業家精神とは、すでに行っていることをより上手に行うことよりも、まったく新しいことを行うことに価値を見出すことである。(四頁)
「すでに行っていることをより上手に行うことよりも、まったく新しいことを行うことに価値を見出すこと」──ドラッカーは、それが「企業家の定義」だという。
この一文を読んで、夢にはすぐに思いついたことがあった。それは、昼間に聞いた真実の言葉だ。