その上、安保法制の国会論戦では、野党は一枚岩どころか、考え方の多様さが明らかになったのだ(第115回・下)。民主党は、集団的自衛権は「違憲」であるとして、安保法制の「廃案」を主張したが、国際的な安全保障環境の変化と、それへの対応の必要性についての認識は、安倍政権とそれほど変わらない(第111回・2p)。一方、維新の党は、実は「集団的自衛権の限定的行使容認」自体には賛成、つまり「違憲」ではないと考えている(第111回・1p)。維新の党が問題視したのは、集団的自衛権行使の要件として「自国防衛の目的を明確にする」ことだけだ。更に、「次世代の党」「日本を元気にする会」「新党改革」の3党は、「国会の関与」があれば自衛隊の海外派遣を認めるとした。この3党は安保法制を「合憲」とみなしたということだ。

 要するに、「なにがなんでも反対」というのは、実は、社民党・共産党・生活の党だけだった。これほど、安保法制に関して多様な考え方が存在するにもかかわらず、「野党共闘で安保法制廃案」を提唱しようというのは、いかにも議会制民主主義を否定してきた共産党らしい厚かましさだ。到底、民主党や維新の党が受け入れられるものではない。

野党は現実的に社会を見ている
「中流」の人たちに焦点を当てよ

 それでは、経済財政政策で民主党・維新の党と共産党の共闘が可能かというと、こちらも無理だ。共産党の政策は、一言でいえば「弱者救済」に徹している。確かに、弱者救済はとても重要なことだ。だが、それだけでは選挙には勝てない。選挙に勝つには、弱者救済に熱心な「市民運動家」「労働者」よりも、日本のサイレントマジョリティである「中流」に焦点を当てなければならない(第115回・下)。

「中流」というのはアバウトな概念ではある。ここでは、サラリーマンを引退した高齢者、現役世代のサラリーマン家庭、その予備軍である思想的な偏りのない若者などとする。この「中流」の人たちは、食べていくため、家族を養うため、非常に現実的に社会を見ている。「市民運動家」などより、よほど日常と政治が結びついている。だから、とりあえずの景気回復で一息つかせてくれたアベノミクスを彼らが「消極的に」支持することは、決して軽視してはならないのである。

 民主党・維新の党に「中流」を取り込むための活路がないわけではない。アベノミクスへの支持が「消極的」だということが重要である。「中流」の人たちは、景気回復についてアベノミクスを「まだマシ」と支持しているが、年金や医療など社会保障の将来については不安を抱き、実はより重要視しているのだ。

 前述の「三世代同居」の提案のように、安倍政権は結局「社会」よりも「家庭」に重心を置いている。安倍政権は、「女性が男性に伍して社会に進出し、同等な権利と条件で働く社会の実現」よりも「女性の家事と仕事の両立をサポートすること」を重視している。「家事」を女性が行うことは前提なのである。