新聞の出版広告や日曜日の書評をざっと見て本を選ぶ、という伝統的な選書法は主流ではなくなっている。出版広告は重要な情報源だが、最近はネット書店の読者の評価やSNSで拡散されて飛び込んでくる本に注目が集まるようになった。しかし、氾濫するアマチュアの批評を気にするよりも、自分の選択眼を養う方向へ舵を切ったほうがいいのではないか。

選択眼を鍛えるためには
中型書店を毎日見て回ろう

 NHKの夜の報道番組で、ツイッターをそのまま字幕のように流す場面に遭遇するが、まったく読むに耐えない。間違いだらけの文法、見当はずれの文章を読まされるのは本当に苦痛だ。人差し指でツイッターの字幕部分を隠してニュースを見ていたが、面倒くさくてその番組を見ること自体やめてしまった。

 ネット書店の読者の批評もこれと同じようなものだ。読むに耐えない文章に出くわす。このような奇妙な文章が氾濫するようになった。ヘンな書評をネット書店やSNSで読むよりも、自分の眼を信じよう。自分の眼を鍛えよう。

 では、新聞や雑誌の書評欄を読んでいれば選択眼ができるかというと、それも無理がある。プロが書いているので文章はまともだ。しかし、大手メディアが取り上げる本は、3000円前後の高価な本で、専門書のすぐ下のレベルの人文系大作が非常に多い。もちろんすべてではないけれど、取り上げられる本の傾向はだいたい見当がつくので、書名を確認するくらいでよろしい。自分の関心事から遠いことも多いから、選択眼養成にはならないだろう。

 選択眼を鍛えるには、リアル書店の店頭を毎日観察することがいちばん。毎日見て回ることによって選択眼ができてくるのである。見て歩けば自分で発見できるので楽しいぞ。

 巡回する時間は10分、長くても15分以内にしよう。対象とする書店は、通勤通学経路上の中型書店である。ワンフロアで全ジャンルの本と雑誌とコミックを苦心惨憺して配架している書店だ。じつはだんだん減少していて探すのに苦労するが、それでも全国にはたくさんある。

 20代のころ、今から40年前の1970年代半ばから10年間、東京都杉並区・南阿佐ヶ谷の中型書店「書原」の近くに住み付き、毎晩1時間ほど入り浸っていた。手ごろな広さに全ジャンルの面白そうな本を山積みした書店だった(今でもそうかな)。

 店内に入るといきなり「科学思想と哲学」の島が立ちはだかる。その周囲は有機的にジャンルを横っ飛びした本を配架してあった。導かれるままに1時間ほど歩くと、手には数冊持っていることになる。長時間見て歩き、有り金をはたいて大量に買い込んでいたが、じつは読書量はそれほど多くない。自宅に積んだ本の海におぼれ、大半は背を眺めて終わっている。