地球温暖化は、新たなビジネスチャンスだ――。
そんなことを耳にすれば、「温暖化は止めなければならない」と刷り込まれてきた私たちは、極めて強い違和感、嫌悪感を抱くのではないだろうか。しかし、昨今刊行された『地球を「売り物」にする人たち』によると、実は世界には「温暖化は起こるものだ」と考え、温暖化「後」を見据えた「えげつないビジネス」を展開する、現実的で利益第一主義的な人々、企業、国家が増えているという。
中でも私たちの印象を裏切るのが、オランダである。なぜオランダは、温暖化で儲けられるのか? そこには、海抜以下の土地でGDPの7割を叩き出すオランダ人の逆転の発想と、ある種の「開き直り」があった。
気候変動による海面上昇を機に、
「護岸壁」を売りまくる
低地国として有名なオランダの人間が、海面上昇についてきわめて実務的な態度をとったとしても、驚くには当たらなかった。過剰な水に対するこの富裕な国の意外な反応は、長いあいだ水不足に直面してきた国々の反応を逆映しにしたかのようだった。旱魃にかけてはベテランとも言えるスペインやオーストラリア、イスラエルといった国々は、気候変動をかならずしも快く思ってはいなかったが、それを契機に海水淡水化プラントの設計改良に努め、今ではそのプラントを喜んで他国に販売していた。洪水対策の権威であるオランダ人も、気候変動をとりたてて憂慮するでもなく、護岸壁を喜んで売るだろう。
オランダの地盤沈下との闘い、さらにはライン川とマース川の河口に広がる低湿のデルタ地帯の干拓史は、中世にさかのぼる。同国の象徴である風車は、揚水機の動力源として利用されていた。テクノフィクス(ハイテクによる問題解決)に対する同国の信念は、見渡すかぎりほぼすべてが人工的な景観に根差している。海抜以下の土地で、同国の人口の3分の2が暮らし、GDPの7割が生み出されている。1997年に、オランダは75億ドル規模のデルタ計画(訳注 1953年の大洪水を契機に始まった大規模治水計画で、ライン川・マース川・スヘルデ川のデルタ地帯を高潮の被害から守ることを目的とする)を完遂した。その堤防やダム、防潮堤は、世界一強大な護岸ネットワークを形成し、どんな防護林や国境バリケードよりもはるかに複雑な驚くべきエンジニアリング事業の成果と言える。
自国以外の世界じゅうの国々が海への不安を抱きはじめるなか、オランダは浚渫会社やエンジニアリング会社から水上建築の専門家まで、自国の水管理に関する専門技術を積極的に売り込んだ。同国にはすでに、大々的に宣伝できる著名な国際的な成功例が1つあった。マンハッタンは、オランダあってこそ、今の姿が見られるのだ。ニューヨークの一部は、当時ニューアムステルダムと呼ばれていたこの地に移り住んだ初期のオランダ人入植者が行った干拓による。オランダ人が母国にとどまっているかぎり、元祖アムステルダムもまた、その姿を保てるだろう。そして、国土が存続することが、最高の宣伝になるのだ。
その護岸壁の信頼性の証あかしとして、リスク関連のコンサルタント会社のメイプルクロフト社が公表した気候変動脆弱性指数で、オランダはアイスランドやデンマーク、フィンランド、ノルウェーといった北の国々と肩を並べて、リスクが低いとされる下位にランクされ、調査対象となった170ヵ国中160位だった。
(2011年に)私はオランダに足を運んでいた。この豊かな国にとって、気候変動がバングラデシュやマーシャル諸島の場合といかに異なるのかを理解するためだ。アムステルダムでは、ニューオーリンズからジャカルタ、ホーチミン、ニューヨークまで、河川デルタ地帯に位置し、危険にさらされている世界じゅうの都市が一堂に会する初めての会合と銘打たれた、「アクアテラ」という会議が開催されていた。そこで私は、われわれは「新たなビジョン」のためにここに集った、と開会の辞で宣言されるのを聞いた。「テーマは、適応であり、事業開発であり」と演説者は続けた。「チャレンジとチャンスであり、価値の創出であり、連帯であり、起業家たることであります!」(『地球を「売り物」にする人たち』306-308ページより抜粋)