一方で、学生から推薦状執筆を依頼されたら、教員がそれを拒むことはほとんどない。ある学生には推薦状を書いたが、ある学生には書かなかった、という区別は基本的にしないのだ。欧米では、ハラスメントに対する厳しい基準がある。推薦状を書くか否かで教員・学生間に「権力関係」が生じることがないように、極めて慎重な対応をしているのだ。換言すれば、学生が教諭からの「圧力」を受けることなく、将来の進路選択の機会を得る権利が確保されているのである。

 これは、日本と大きな違いなのである。日本では、推薦状を書くということは、その学生の「いいところ」を書くものだというのが、常識となっている。そして、いいところを書くといっても、「この学生は学業優秀、生活態度が優良である」の一行だけで、学生についての具体的な描写は一切ない推薦状が、実は多かったりする。

 当該学生のことを実はよく知らないにもかかわらず、政治家・企業経営者など社会的地位・名誉のある人が推薦人を務めることもよくある。要は、日本社会における「推薦状」とは、推薦される人の、「人となり」を評価してもらうためのものではなく、社会的地位・名誉を持つ人の推薦を得ることで、信用してもらうためのものだといえる。そして、推薦状をもらえるかどうかを巡って、さまざまな問題が起こってくるのだ。

欧米の学校では、日常の成績評価でも
「第三者」のチェックが入る

 欧米の学校では、日常の成績評価についても、客観的でオープンなシステムが導入されている。筆者が在籍した大学の場合、定期試験の評価の最終的な決定権を持つのは、学外の「第三者」であった。担当教員が定期試験の答案を採点するのは当然なのだが、その後に、答案は学部が選んだ「第三者」に送られる。「第三者」とは、この場合は他大学の教員である。「第三者」は、担当教員から送られてきた採点済みの答案を見る。採点が適正に行われていることを確認できたら、初めて成績評価が確定するのである。

 もちろん「第三者」は、膨大な数の答案をすべて採点し直すわけではない。おそらく、ランダムに決められた数を選んで見るか、「A+評価(特優)」と「F評価(落第)」だけを慎重に確認するかのいずれかの方法だと思われる。いずれにせよ、「第三者」のチェックが入るために、担当教員がいい加減な評価をすることができない仕組みになっている。