コダックと富士フイルムの運命を分けたモノ
業界に君臨した企業が、ピボットを図って部品サプライヤーの道を選ぶとき、企業文化を大きくシフトする必要に迫られる。それは苦悩に満ちたシフトであるにしろ、業界2位、3位の企業が勝利をつかみ取るための戦略でもある。(コダックの悲劇的な破綻について振り返ると)スマートフォンの登場によって従来の写真処理技術が徐々に、やがて突然に衰退すると、コダックは破綻に追い込まれたあげく、知的財産を有利に売却するタイミングすら逃してしまった。
富士フイルムは、長く培ってきた専門技術と知識とをコア事業に近い産業と市場に転用して、成長の望めない写真事業から大きな価値を絞り出した。高精細イメージング技術を活用して、ナノテクノロジー分野に参入したかと思えば、医薬品事業へも本格参入し、インフルエンザワクチンなどの薬剤をナノ分散化させて、その吸収性を高めることにも成功した。
また独自の抗酸化技術を活かして、こともあろうに、化粧品事業への進出も果たしている。紫外線による写真の退色を防ぐ技術を、スキンケア分野にも応用したのだ。どちらの場合でも、写真フィルムの主成分であり、人間の皮膚の大半を構成するコラーゲンは、酸化によって分解される、という共通の要素があるからである。フィルムを酸化から守る乳剤をつくる富士フイルムの技術は、スキンケア商品である「アスタリフト」のコア技術として活用されている。
ある意味、富士フイルムは古い競合に礼を述べるべきだろう。コダックという存在があったからこそ、富士フイルムは事業の多角化を目指し、現在の事業に直接関係のない市場へも積極的に参入する企業文化を育んだのだ。コダックと互角に戦う規模に達するために、富士フイルムは別の市場でユーザーを見つけ出す必要があった。そこで、写真フィルム事業で培った薄膜形成・加工技術や塗布技術を用いて、1990年台末に初期のフラットパネルディスプレイ市場に進出した。現在、TVの液晶ディスプレイ(LCD)用フィルムにおいて、同社は世界市場のほぼ8割を独占する。
フィルム写真時代が終わりを告げたとき、富士フイルムには即座に対応できる優れたスキルと柔軟な組織力があった。「我が社は、すでに多様な技術資源を持っていました」。2012年、代表取締役会長兼CEOの古森重隆は『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に語った。「だから、こう考えたわけです。『その技術をうまく活かそうじゃないか。新しく活かせる分野があるに違いない』と」
そしてその言葉通り、古森は多様な技術を転用して新規事業の開拓に乗り出した。古森は2004年を「第2の創業」と位置づけ、写真フィルム事業が全事業に占める割合を、その後の10年で20%から1%に引き下げると宣言した。その一方で、医療品事業を、総売上高220億ドルのうちの10%超を占めるまでに成長させた。液晶ディスプレイ事業が占める割合も、同じく10%に達した。(同300-302ページ)
変化が激しく、そのインターバルも短くなっていく時代において、危機的状況に陥ることのない企業など、存在しないだろう。たとえいま、規制で守られている業界であろうと、関係ない――エアビーアンドビー(Airbnb)、ウーバー(Uber)の登場で慌てふためく宿泊業界、タクシー業界を見れば十分だろう。
みずからコア事業を解体することも厭わない、そんな「劇薬」を飲む勇気のあるCEOだけが、「ビッグバン・イノベーション」の時代を生き延びられるのだ。(構成:編集部 廣畑達也)
(了)