プロダクトアウト型から
顧客を理解する考え方に変化

 大衆を相手にしたマーケティングは、産業革命の勃興によって初めて必要とされるようになった。モノを大量に安く生産し、届けることが可能になったため、マスマーケットに対して必需品を大量に売り込む技術が求められたのだ。誰もが必要とする必需品が対象であったことから、初期のマーケティングは「消費者に商品の存在を知らしめれば売れる」という前提に立った、プロダクトアウト型、プッシュ型のアプローチが多かった。

 ところが、70年代になると、米国において経済が飽和し、次第にモノが溢れるようになっていった。多くの家庭で、必需品はもはや憧れの対象ではなくなった。この時から、消費者は自分の好みに合ったものを選り好んで買うようになっていった。これに合わせてマーケティング理論の中にも、「顧客を分類する」という考え方(セグメンテーション)が持ち込まれる。顧客を細かくグルーピングし、より深く理解する。商品ではなく顧客を見ようというという考え方が出てきたのである。

 これによって、顧客が何に価値を認めるか、何に共感を覚え、アイデンティティを感じるのかが議論のテーマになっていった。そこから、商品を超えた「ブランド」というものが着目されるようになる。つまり、マーケティングは商品を売り込む技術から、ターゲットとする消費者を知り、継続的な関係を構築する学問へと発展していったのだ。

 そうなると、マーケティングはモノをつくって売る企業のためのものだけではなくなっていく。早い段階からコトラーが公共セクターのマーケティングに関心を持つようになっていったのはこのためだ。政府や美術館、大学などの公共セクターにおいても、市民や学生との継続的な関係をいかに形成していくかは大きな問題であり、それを解決することでマーケティングの可能性がさらに広がると考えたからだ。

 その後、今度は情報革命が起こった。情報通信技術が発達したことにより、SNSなどを介して消費者同士がお互いにつながるようになっていった。その結果、消費者自身がブログを通じて発信するようになったり、メーカーよりも仲間のブログの方を信用する消費者が増えていった。また、同じ価値観を持つ人たちのコミュニティができあがったことで、そこに働きかけ、消費者参加型の商品開発に取り組む企業も現れるようになった。

 あるいはアップルのように、熱狂的なファンが参加するストーリーを提供する企業も現れた。企業はもはや株主だけのものではなくなったのだ。いくら儲けになったとしても、消費者を裏切るようなことは許されなくなってきている。それは従業員も同じであり、アップルストアのように、従業員と顧客が共にストーリーを演じる場を提供することが企業の役割に変わってきているのだ。

 こうした企業はアップルだけではない。スターバックス、ディズニーランド、星野リゾートなどを見れば、変化の芽が見えてくるだろう。顧客や従業員が企業とともに価値を共創する時代へ移ってきているのである。

カネやモノに代わって
人が主役になった

 産業革命の時代においては、金やモノが主役であった。企業が経営資源を動員して価値あるモノをつくり出した。消費者は一生懸命企業で働き、貯めたお金で憧れのモノを買った。しかし、情報革命の時代においては、情報はタダで提供される。音楽も映像もゲームも新聞も、最低限のものはタダで楽しむことができるのだ。そうなると、お金を貯めて「いつかはクラウン」といった我慢強い消費者や従業員はいなくなっていく。

 モノや情報はもはや希少ではなくなり、自分の価値観を満たしてくれる仲間や、参加型のストーリーを消費者は希求するようになってきている。何年も先まで待つのではなく、いますぐ意味のある活動にメンバーとして参加することが価値をもたらすように変わってきている。つまり、金やモノに代わって、人が主役になったのだ。